米倉美枝
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米倉 美枝(よねくら みえ、1916年(大正5年)5月15日 - 1977年(昭和52年)8月3日)[1]は、昭和時代の合唱指揮者。
経歴
[編集]福岡県浮羽郡吉井町(現・うきは市)出身。東京音楽学校師範科卒業後、福岡県に戻り高等女学校教師となる。
1948年(昭和23年)の第1回全日本合唱コンクール全国大会学生部門に旧制福岡高等女学校(現:福岡中央高校)を指揮して出場、優勝を果たす[2]。教職を退いた後は石丸寛らとともに九州の合唱隆盛に尽力し、福岡合唱協会、RKB女声合唱団、八幡製鉄合唱団などを指揮・指導する。九州合唱連盟理事長、全日本合唱連盟常任理事、熊本音楽短期大学教授などを務めた。
参考文献
[編集]- 「創立50周年特別企画 焼跡のなかから燃えあがった合唱の灯」- 社団法人全日本合唱連盟機関誌「ハーモニー」No.92、1995年4月10日発行。