米子市の歌
米子市の歌(2015) | |
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作詞 | 保岡直樹 |
作曲 | 松田恭雄 |
採用時期 | 2015年3月31日 |
言語 | 日本語 |
「米子市の歌」(よなごしのうた)は、日本の鳥取県米子市が制定した市歌である。以下の同名2曲が存在する。
現在の市歌は2.である。本項では(旧)米子市と新設合併した西伯郡淀江町の旧町歌についても解説する。
解説
[編集]現在の米子市は2005年(平成17年)に西伯郡淀江町と新設合併した2代目であり、同名の(旧)米子市とは別の地方公共団体であるが本項では便宜上、1967年(昭和42年)制定の(旧)米子市が制定した市歌を「初代」、2015年(平成27年)制定の(現)米子市が制定した市歌を「2代目」とする。
初代(1967年)
[編集]米子市の歌(1967) | |
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作詞 | 米子市選定 |
作曲 | 高木東六 |
採用時期 | 1967年4月1日 |
採用終了 | 2005年3月31日(新設合併に伴う失効) |
言語 | 日本語 |
初代の「米子市の歌」は1967年(昭和42年)に市制40周年記念事業の一環として歌詞を懸賞募集したが[1]、作詞者の名義は「米子市選定」の扱いで個人名はクレジットされていない[2]。作曲は地元出身の高木東六に依頼され、歌曲と合わせて行進曲アレンジも作られた[3]。
発表・初演奏は同年4月1日の市制40周年記念式典の席上で行われ、同日には市の花としてツツジが選定されている[1]。歌詞と楽譜は1968年(昭和43年)刊の『米子市四十周年史』20-21ページに掲載。
平成の大合併では鳥取県内の4市中で鳥取市と倉吉市が編入合併方式を採り、倉吉市は従来の「倉吉市歌」を継続使用したが鳥取市は従来の「鳥取市民歌」に代わり新しく「伸びゆくふるさと」を制定した。これに対し、米子市では淀江町との合併に際して新設合併方式を採り、協定項目において市歌の扱いは「新市において調整する」とされたため初代市歌は淀江町の町歌「伸びゆく淀江」と共に失効扱いとなり[4]、廃止された。
2代目(2015年)
[編集]前述の鳥取市と倉吉市に加え、合併を行わなかった境港市では「境港市の歌」が制定されているため(新)米子市は発足当初から県内4市で1市だけ市歌が未制定の状態が続いた。その後、2015年(平成27年)の合併10周年を機に記念事業として市歌を制定する方針が発表され、2014年(平成26年)6月より懸賞募集が行われる[5]。応募総数は作詞63篇・作曲56篇で、まず歌詞の入選作を発表したのち作曲部門の募集が行われた[5]。
初代から題名を引き継いだ2代目市歌「米子市の歌」は合併10周年となる2015年3月31日付で制定告示が行われ、10年ぶりに県内4市の市歌が出揃う状況が復活した。市が地区保健推進員連絡協議会と共同で作成した市民体操「よなご健康えぇがん体操」では、2代目市歌がBGMに取り入れられている[6]。
旧町歌
[編集](旧)米子市と新設合併した西伯郡淀江町では、1984年(昭和59年)6月20日に町歌「伸びゆく淀江」(のびゆくよどえ)を制定していた[7]。作詞・杉本満、補作・島田陽子、作曲・池田八声。
参考文献
[編集]- 『米子市四十周年史』(米子市役所、1968年) NCID BN10483460
出典
[編集]- ^ a b 四十周年史(1968), pp392-393
- ^ 四十周年史(1968), p20
- ^ 石川和彦 (2021年9月6日). “鳥取県を再発見して 市町村の歌や民謡を紹介 わらべ館”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社) 2023年4月19日閲覧。
- ^ “合併協定項目の確認事項一覧”. 合併デジタルアーカイブ. 総務省 (2004年7月30日). 2023年4月19日閲覧。
- ^ a b “『米子市の歌』を制定しました♪”. 米子市役所 (2015年3月31日). 2023年4月19日閲覧。
- ^ “よなご健康えぇがん体操”. 米子市役所 (2019年11月6日). 2023年4月19日閲覧。
- ^ “市章アンケート”. 米子市役所 (2005年8月1日). 2023年4月19日閲覧。
関連項目
[編集]- 鳥取県の市町村歌一覧
- 伊那市の歌 - 長野県伊那市の市歌。旧「米子市の歌」と同じく高木が作曲しており、新設合併により一旦失効・廃止扱いとなったが市民からの要望により復活した。