米岡規雄
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米岡 規雄(よねおか のりお、明治4年2月5日[1](1871年3月25日) - 没年不詳)は、日本の弁護士。旅順市長。
経歴
[編集]鳥取県鳥取市に谷口卯三郎の二男として生まれ、米岡勘十郎の養子となった。鳥取中学校を卒業し、1892年(明治25年)より鳥取県属、西伯郡書記となり、さらに鳥取県内務部、大蔵省専売局、大蔵省主税局に勤務した。1901年(明治34年)、和仏法律学校(現在の法政大学)を卒業。1903年(明治36年)、弁護士試験に合格した。1906年(明治39年)、関東州民政署属となり、旅順民政署財務課長を務めた。翌年に退官した後は、旅順で弁護士事務所を開き、さらに大連市にも事務所を設けた。旅順市会議員に選ばれ、1932年(昭和7年)には同市会議長に就任した。
1933年(昭和8年)、旅順市長に選任された。
その他、旅順殖産株式会社社長、満洲産業株式会社取締役、満洲麦酒株式会社取締役、満洲澱粉株式会社取締役、内外商事株式会社取締役、満洲醤油株式会社取締役などを務めた。
脚注
[編集]- ^ 財界二千五百人集 満蒙及朝鮮篇 1934, p. 256.
参考文献
[編集]- 『財界二千五百人集 満蒙及朝鮮篇』財界二千五百人集編纂部、1934年。