粟田鷹守
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時代 | 奈良時代 - 平安時代初期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 延暦25年4月10日(806年5月1日) |
官位 | 従四位下大蔵卿 |
主君 | 称徳天皇→光仁天皇→桓武天皇→平城天皇 |
氏族 | 粟田氏 |
粟田 鷹守(あわた の たかもり)は、奈良時代から平安時代初期にかけての貴族。官位は従四位下・大蔵卿。
経歴
[編集]称徳朝の天平神護2年(766年)従五位下に叙爵し、翌神護景雲2年(768年)安房守に任ぜられる。
光仁朝では衛門佐を務める傍ら、宝亀2年(771年)従五位上、宝亀8年(777年)までには正五位下に昇進している。宝亀8年(777年)常陸介。
桓武朝に入り、天応元年(781年)左兵衛佐に任ぜられると、大蔵大輔・主馬頭・民部大輔と桓武朝初頭は京官を歴任する。延暦5年(786年)上野守に遷ると、長門守・肥後守とその後は地方官を歴任している。延暦18年(799年)従四位下・大蔵卿に至る。
平城朝初頭の延暦25年(806年)4月10日卒去。最終官位は散位従四位下。
官歴
[編集]『六国史』による。
- 時期不詳:正六位上
- 天平神護2年(766年) 11月5日:従五位下
- 神護景雲2年(768年) 2月18日:安房守
- 時期不詳:衛門佐
- 宝亀2年(771年) 閏3月1日:兼因幡守。11月26日:従五位上
- 宝亀3年(772年) 4月20日:兼甲斐守
- 時期不詳:正五位下
- 宝亀8年(777年) 10月13日:常陸介
- 天応元年(781年) 9月5日:左兵衛佐
- 天応2年(782年) 2月7日:大蔵大輔。8月25日:主馬頭
- 延暦4年(785年) 正月15日:民部大輔
- 延暦5年(786年) 8月8日:上野守
- 延暦7年(788年) 3月21日:治部大輔
- 延暦8年(789年) 3月16日:長門守
- 延暦9年(790年) 3月10日:肥後守
- 時期不詳:従四位下
- 延暦18年(799年) 2月20日:大蔵卿
- 延暦25年(806年) 4月10日:卒去(散位従四位下)