粟飯原清胤
表示
時代 | 南北朝時代 |
---|---|
生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
戒名 | 道最[1] |
官位 | 下総守[要出典] |
氏族 | 粟飯原氏 |
父母 | 粟飯原氏光[要出典] |
兄弟 | 清胤、基胤、兼胤[要出典] |
子 | 詮胤、常善[要出典] |
粟飯原 清胤(あいはら きよたね)は、南北朝時代の武将。生没年不詳[2]。『千葉大系図』によれば、千葉貞胤の弟である粟飯原氏光の子で、父の官途名である下総守を受け継いだ[3]。
略歴
[編集]氏光の嫡子として生まれ、足利尊氏から千葉氏13代当主千葉氏胤の後見を託される。[要出典]興国6年/貞和元年(1345年)8月、千葉氏胤や東常顕ら千葉氏一族と共に天龍寺供養に参加する。[要出典] のち正平2年/貞和3年(1347年)1月3日から2年間、幕命により政所執事を勤める[1][4]。のち正平5年/観応元年(1350年)4月16日厩別当となる[5]。のち佐々木高氏が近江柏原城に蟄居すると、正平8年/文和2年(1353年)1月5日、足利義詮、三宝院賢俊と共に遣わされ、これを諭す[6]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- デジタル版 日本人名大辞典+Plus. “粟飯原清胤”. コトバンク. 2018年12月6日閲覧。
- 東京帝国大学史料編纂所編『国立国会図書館デジタルコレクション 大日本史料』 第6編之11、東京帝国大学、1912年3月30日。全国書誌番号:73016128 。