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糸園和三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

糸園 和三郎(いとぞの わさぶろう、1911年8月4日 - 2001年6月15日)は、昭和から平成にかけて活躍した日本洋画家[1]シンガーソングライター具島直子は孫。

経歴

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呉服商の三男として、大分県中津市に生まれる。少年時代に骨髄炎を患うが、1927年、画家を志し上京し、川端画学校、前田写実研究所に学ぶ。その後前田寛治写実研究所に転じ、1930年、春陽会展に初入選。

1931年より独立展に出品。この頃からシュルレアリスムの影響を強く受け始め、1939年に福沢一郎北脇昇麻生三郎寺田政明らとともに、美術文化協会の結成に参加。1943年には麻生、寺田、松本竣介靉光鶴岡政男井上長三郎大野五郎とともに、新人画会を結成。1945年の東京大空襲により、ほぼすべての作品を焼失。また、戦時中は戦争画を一切書かなかった。戦後、自由美術家協会会員を経て、1964年より無所属。1957年、日本国際美術展佳作賞、1968年、現代日本美術展K氏賞。

1980年代に右眼の視力をほとんど失い、晩年は左眼も衰えたが、作品を制作し続けた。その作風は、深い陰翳に包まれながらも独特の温かみを持つ。日本大学芸術学部講師も勤めた。

2001年6月15日、肺炎のため東京都杉並区の病院にて死去。89歳没。2003年、『糸園和三郎追悼文集』(糸園和三郎追悼文集刊行会)が刊行される。

主な作品

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  • 「鳥をとらえる女」
  • 「壁」
  • 「黒い水」
  • 「黄いろい水」
  • 「ブランコの老人」
  • 「母子像」
  • 「犬のいる風景」
  • 「老夫」
  • 「老婦と子ども」
  • 「丘の上の大樹」

脚注

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  1. ^ 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plus. “糸園和三郎”. コトバンク. 2022年2月11日閲覧。

外部リンク

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