紀元前545年
表示
世紀 | 前7世紀 - 前6世紀 - 前5世紀 |
---|---|
十年紀 |
前560年代 前550年代 前540年代 前530年代 前520年代 |
年 |
前548年 前547年 前546年 紀元前545年 前544年 前543年 前542年 |
紀元前545年(きげんぜん545ねん)は、西暦(ローマ暦)による年。紀元前1世紀の共和政ローマ末期以降の古代ローマにおいては、ローマ建国紀元209年として知られていた。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前545年と表記されるのが一般的となった。
他の紀年法
[編集]できごと
[編集]中国
[編集]- 斉の景公・陳の哀公・蔡の景侯・燕の懿公・杞の文公らが晋に朝見した。
- 衛の石悪が晋に亡命した。
- 蔡の景侯が晋から帰国する途中に鄭に立ち寄ったが、態度が不遜だったため、子産は景侯の禍を予見した。
- 魯の仲孫羯が晋に赴いた。
- 斉の子尾(公孫蠆)・子雅(公孫竈)・陳須無・鮑国らが起兵し、慶舎を殺害した。慶封が魯に亡命した。
- 崔氏の乱のときに亡命した斉の公子たちが帰国した。
- 魯の襄公・宋の平公・陳の哀公・鄭の簡公・許の悼公が楚に赴いた。