紀和町
表示
きわちょう 紀和町 | |||||
---|---|---|---|---|---|
| |||||
廃止日 | 2005年11月1日 | ||||
廃止理由 |
新設合併 熊野市、紀和町→熊野市 | ||||
現在の自治体 | 熊野市 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 東海地方、近畿地方 | ||||
都道府県 | 三重県 | ||||
郡 | 南牟婁郡 | ||||
市町村コード | 24563-1 | ||||
面積 | 113.67 km2 | ||||
総人口 |
1,639人 (2004年11月1日) | ||||
隣接自治体 |
三重県南牟婁郡紀宝町、御浜町 和歌山県東牟婁郡北山村、新宮市 奈良県吉野郡十津川村 | ||||
町の木 | スギ | ||||
町の花 | カンラン | ||||
町の鳥 | ウグイス | ||||
紀和町役場 | |||||
所在地 |
〒519-5413 三重県南牟婁郡紀和町板屋78 | ||||
外部リンク | 紀和町(Internet Archive) | ||||
座標 | 北緯33度52分34秒 東経135度55分03秒 / 北緯33.87617度 東経135.91739度座標: 北緯33度52分34秒 東経135度55分03秒 / 北緯33.87617度 東経135.91739度 | ||||
ウィキプロジェクト |
紀和町(きわちょう)は、かつて三重県南牟婁郡にあった町。三重県南部に位置し、東紀州地域に含まれていた。2005年(平成17年)11月1日に熊野市と新設合併して新しく熊野市が発足し、紀和町は廃止された。
地理
[編集]三重県最西端に位置していた。
- 河川:北山川
隣接していた自治体
[編集]歴史
[編集]ほとんどの町民が何らかの形で紀州鉱山(銅を産出)と関わる鉱山の町として栄えたが、1978年(昭和53年)に閉山すると人口は急減し過疎化が進んだ[1]。最盛期には総合病院や映画館もあった[2]。
- 1955年(昭和30年)3月1日 - 上川村・入鹿村・西山村が合併して発足。
- 1992年(平成4年)10月8日 - イルカボーイズ(元イギリス人捕虜)が47年ぶりに来町[3]、10月10日まで滞在[4]。
- 2005年(平成17年)11月1日 - 熊野市と合併し、改めて熊野市が発足。同日紀和町廃止。
娯楽
[編集]かつて紀和町には以下の映画館があった。1960年(昭和35年)の南牟婁郡には5館の映画館があった[注 1]。
- 紀州会館
- 惣房会館
- 入鹿銀映
人口
[編集]1955年(昭和30年) | 9,696人 | |
1960年(昭和35年) | 8,564人 | |
1965年(昭和40年) | 6,557人 | |
1970年(昭和45年) | 4,177人 | |
1975年(昭和50年) | 3,614人 | |
1980年(昭和55年) | 2,658人 | |
1985年(昭和60年) | 2,351人 | |
1990年(平成2年) | 2,065人 | |
1995年(平成7年) | 1,810人 | |
2000年(平成12年) | 1,742人 | |
2005年(平成17年) | 1,623人 |
行政
[編集]- 町長:下川勝三
教育
[編集]以下の2校は合併後、熊野市立となった。
- 紀和町立入鹿中学校
- 紀和町立入鹿小学校
廃校・休校となった学校
[編集]- 中学校
- 紀和町立上川中学校(1996年3月から休校)
- 紀和町立西山中学校(1991年3月から休校)
- 紀和町立小森中学校(1982年3月に廃校)
- 小学校
- 紀和町立入鹿小学校西山分校(1989年4月に西山小学校から改称、1990年4月から休校)
- 紀和町立西山小学校小森分校(1981年3月に廃校)
- 紀和町立上川小学校(1994年3月から休校)
- 紀和町立矢ノ川小学校(1988年3月から休校)
- 紀和町立三和小学校(1979年3月に廃校)
交通
[編集]鉄道
[編集]道路
[編集]名所・旧跡
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 1960年の映画館(東海地方)「消えた映画館の記憶」を参照した[5]。
出典
[編集]- ^ 直井政夫・中庭克之「生まれ変わる鉱山 再利用進む廃鉱」朝日新聞1992年5月2日付朝刊、大阪版14ページ
- ^ 山口康平 著「イルカボーイズ―熊野の山中に眠る英国人」、海津一朗・稲生淳 編 編『世界史とつながる日本史―紀伊半島からの視座―』ミネルヴァ書房〈MINERVA 歴史・文化ライブラリー33〉、2018年4月30日、272-287頁。ISBN 978-4-623-08240-7。
- ^ 松岡裕之「イルカボーイズとウイルソン博士」『日本医事新報』第3945号、日本医事新報社、1999年12月4日、55-57頁、NAID 40002822745。
- ^ "体で心で舌で感じました“秋” 好天の「体育の日」"朝日新聞1992年10月11日付朝刊、名古屋版2社26ページ
- ^ 『映画年鑑 戦後編 別冊 全国映画館録 1960』日本図書センター、1999年。
- ^ “昭和30年国勢調査年令別人口”. 三重県戦略企画部統計課分析・情報班. 2020年5月4日閲覧。
- ^ “10 総人口(総数:国勢調査)”. 三重県戦略企画部統計課分析・情報班. 2020年5月4日閲覧。