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紀和町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
きわちょう
紀和町
丸山千枚田
紀和町旗 紀和町章
紀和町旗 紀和町章
廃止日 2005年11月1日
廃止理由 新設合併
熊野市、紀和町熊野市
現在の自治体 熊野市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 東海地方近畿地方
都道府県 三重県
南牟婁郡
市町村コード 24563-1
面積 113.67 km2
総人口 1,639
(2004年11月1日)
隣接自治体 三重県南牟婁郡紀宝町御浜町
和歌山県東牟婁郡北山村新宮市
奈良県吉野郡十津川村
町の木 スギ
町の花 カンラン
町の鳥 ウグイス
紀和町役場
所在地 519-5413
三重県南牟婁郡紀和町板屋78
外部リンク 紀和町(Internet Archive)
座標 北緯33度52分34秒 東経135度55分03秒 / 北緯33.87617度 東経135.91739度 / 33.87617; 135.91739座標: 北緯33度52分34秒 東経135度55分03秒 / 北緯33.87617度 東経135.91739度 / 33.87617; 135.91739
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紀和町(きわちょう)は、かつて三重県南牟婁郡にあった。三重県南部に位置し、東紀州地域に含まれていた。2005年(平成17年)11月1日に熊野市と新設合併して新しく熊野市が発足し、紀和町は廃止された。

地理

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三重県最西端に位置していた。

隣接していた自治体

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歴史

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ほとんどの町民が何らかの形で紀州鉱山を産出)と関わる鉱山の町として栄えたが、1978年(昭和53年)に閉山すると人口は急減し過疎化が進んだ[1]。最盛期には総合病院映画館もあった[2]

娯楽

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かつて紀和町には以下の映画館があった。1960年(昭和35年)の南牟婁郡には5館の映画館があった[注 1]

  • 紀州会館
  • 惣房会館
  • 入鹿銀映

人口

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以下は国勢調査による[6][7]

1955年(昭和30年) 9,696人
1960年(昭和35年) 8,564人
1965年(昭和40年) 6,557人
1970年(昭和45年) 4,177人
1975年(昭和50年) 3,614人
1980年(昭和55年) 2,658人
1985年(昭和60年) 2,351人
1990年(平成2年) 2,065人
1995年(平成7年) 1,810人
2000年(平成12年) 1,742人
2005年(平成17年) 1,623人

行政

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  • 町長:下川勝三

教育

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以下の2校は合併後、熊野市立となった。

  • 紀和町立入鹿中学校
  • 紀和町立入鹿小学校

廃校・休校となった学校

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  • 中学校
    • 紀和町立上川中学校(1996年3月から休校)
    • 紀和町立西山中学校(1991年3月から休校)
    • 紀和町立小森中学校(1982年3月に廃校)
  • 小学校
    • 紀和町立入鹿小学校西山分校(1989年4月に西山小学校から改称、1990年4月から休校)
    • 紀和町立西山小学校小森分校(1981年3月に廃校)
    • 紀和町立上川小学校(1994年3月から休校)
    • 紀和町立矢ノ川小学校(1988年3月から休校)
    • 紀和町立三和小学校(1979年3月に廃校)

交通

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トロッコ列車

鉄道

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道路

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名所・旧跡

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脚注

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注釈

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  1. ^ 1960年の映画館(東海地方)「消えた映画館の記憶」を参照した[5]

出典

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  1. ^ 直井政夫・中庭克之「生まれ変わる鉱山 再利用進む廃鉱」朝日新聞1992年5月2日付朝刊、大阪版14ページ
  2. ^ 山口康平 著「イルカボーイズ―熊野の山中に眠る英国人」、海津一朗・稲生淳 編 編『世界史とつながる日本史―紀伊半島からの視座―』ミネルヴァ書房〈MINERVA 歴史・文化ライブラリー33〉、2018年4月30日、272-287頁。ISBN 978-4-623-08240-7 
  3. ^ 松岡裕之「イルカボーイズとウイルソン博士」『日本医事新報』第3945号、日本医事新報社、1999年12月4日、55-57頁、NAID 40002822745 
  4. ^ "体で心で舌で感じました“秋” 好天の「体育の日」"朝日新聞1992年10月11日付朝刊、名古屋版2社26ページ
  5. ^ 『映画年鑑 戦後編 別冊 全国映画館録 1960』日本図書センター、1999年。
  6. ^ 昭和30年国勢調査年令別人口”. 三重県戦略企画部統計課分析・情報班. 2020年5月4日閲覧。
  7. ^ 10 総人口(総数:国勢調査)”. 三重県戦略企画部統計課分析・情報班. 2020年5月4日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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