紀興道
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時代 | 平安時代初期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 承和元年6月21日(834年7月30日) |
官位 | 従四位下・右兵衛督 |
主君 | 嵯峨天皇→淳和天皇 |
氏族 | 紀氏 |
父母 | 父:紀勝長 |
兄弟 | 興道、名虎、名龍、女子 |
子 | 本道、有友 |
紀 興道(き の おきみち)は、平安時代初期の貴族。中納言・紀勝長の子。官位は従四位下・右兵衛督。
経歴
[編集]嵯峨朝の弘仁3年(812年)蔵人に補せられると、翌弘仁4年(813年)従五位下に叙爵し、雅楽頭に任ぜられる。弘仁6年(815年)備前介として地方官に転じた。
淳和朝で累進し、天長4年(827年)正五位下、天長9年(832年)には従四位下に至った。またこの間、兵部大輔・左中弁・右兵衛督と文武の諸官を務めている。
人物
[編集]家風を受け継ぎ、射礼の作法をよく伝えていた。大同年間に従五位上の位階にあり、同じく射礼の作法を伝えていた伴和武多麻呂と並称され、後世の武術に秀でた者は長く紀・伴両家の流儀に倣った。なお、両者の流儀には相違点が多数あったものの、概ね一致していたという[1]。
官歴
[編集]『六国史』による。
- 時期不詳:正六位上
- 弘仁3年(812年) 正月:蔵人[2]
- 弘仁4年(813年) 正月7日:従五位下。正月25日:雅楽頭
- 弘仁6年(815年) 3月13日:備前介
- 時期不詳:従五位上
- 天長4年(827年) 正月21日:正五位下
- 天長9年(832年) 正月7日:従四位下
- 時期不詳:兵部大輔。左中弁。右兵衛督
- 承和元年(834年) 6月21日:卒去