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紀若子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

紀 若子(き の わかこ、生没年不詳)は、奈良時代後期から平安時代初期(?)にかけての女官名は「穉子」とも表記することもある[1][要出典]大納言紀船守の娘。桓武天皇の宮人で、天皇の第7皇子明日香親王の母。

生涯

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父・紀船守は桓武天皇の寵臣で、若子はその後宮に入り明日香親王を産む[2]延暦8年(789年)1月、多治比邑刀自藤原数子とともに無位から従五位下に叙位され[3]、更に延暦10年(791年)12月に、多治比邑刀自とともに従四位下に昇叙された[4]。以降の叙位は見られないため[2]、ほどなくして亡くなったものと見られる。

官歴

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続日本紀』による

脚注

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  1. ^ 『日本女性人名辞典』p371
  2. ^ a b 続日本後紀』承和元年(834年)二月甲午(13日)条(明日香親王薨伝)
  3. ^ 続日本紀』延暦8年(789年)正月己巳(27日)条
  4. ^ 『続日本紀』延暦10年(791年)十二月癸卯(17日)条

参考文献

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関連項目

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