拓殖短期大学
表示
(紅陵短期大学から転送)
拓殖短期大学 | |
---|---|
大学設置/創立 | 1950年 |
廃止 | 2005年 |
学校種別 | 私立 |
設置者 | 学校法人拓殖大学 |
本部所在地 | 東京都文京区小日向3-4-14[注釈 1] |
学部 |
経営科 貿易科 |
拓殖短期大学(たくしょくたんきだいがく、英語: Takushoku Junior College)は、東京都文京区小日向3-4-14[注釈 1]に本部を置いていた日本の私立大学である。1950年に設置され、2005年に廃止された。大学の略称は拓短。
概要
[編集]大学全体
[編集]- 東京都文京区小日向に所在した日本の私立短期大学で、設置主体は学校法人拓殖大学[1]。
- 国内で最初に認可された短期大学149校[注 1]の1校として、1950年に紅陵短期大学として2学科体制で開学した[2]。
- 後に学科増設により一時期は3学科体制をとるも、一部北海道拓殖短期大学に譲渡され、再び2学科体制となり、以後は増減なし。
- 2002年度の入学生を最後に[注釈 2]、短期大学としての使命を終える[3]。
建学の精神(校訓・理念・学是)
[編集]- 拓殖大学を参照。
教育および研究
[編集]- 拓殖短期大学に設けられていた学科の一つにはまず経営科がある。これは、企業経営に必要な専門科目を学ぶ学科で、会計・経営・情報管理などの専門実務系の科目が中心となっていた。貿易科は、全国の短大でも数少ない名称の学科で、国際取引の現場で活躍しうるための実務処理能力と語学力を養うことをねらいとした学科となっていた。カリキュラムは経営科と似通っている部分があったが、ビジネス英文ライティングが基本科目とされていた。
学風および特色
[編集]- 拓殖短期大学は、勤労の傍らで学業に勤しみ人々に対する大学教育を開放することの必要性から夜間部が設置されていた。
- 商学部と類似した学科が置かれていた。
- 当時、拓殖大学商学部において1・2年次が八王子キャンパス、3・4年次が文京キャンパスと学年配当によりキャンパスが異なるため移動しなければならなかった。一方、短期大学経営科・貿易科は商学部に類似した学科となっており、文京区にあったことから、短大で2年間学んだあと商学部3年次編入学すれば引き続き文京区で学ぶことができるというメリットを活用した学生も多かったらしい。
沿革
[編集]- 1949年
- 1950年
- 1952年
- 1953年
- 1954年
- 1955年
- 1957年
- 群馬分校閉鎖に伴い文京区の本校に一本化。
- 1958年
- 1960年
- 1965年
- 1966年
- 1968年
- 1985年
- 1986年
- 1987年
- 1992年
- 1999年
- 2002年
- 2005年
基礎データ
[編集]所在地
[編集]- 東京都文京区小日向3-4-14[注釈 1]
象徴
[編集]教育および研究
[編集]組織
[編集]学科
[編集]専攻科
[編集]- なし
別科
[編集]- なし
取得資格について
[編集]大学関係者と組織
[編集]大学関係者組織
[編集]- 拓殖短期大学には同窓会組織として拓殖大学と共通に拓殖大学学友会が組織されている。
大学関係者一覧
[編集]プロジェクト:大学/人物一覧記事についての編集方針(ガイドライン)「記載する人物」により、単独記事のない人物(赤リンクまたはリンクなし)は掲載禁止となっています。記事のある人物のみ追加してください。(2021年12月) |
歴代学長
出身者
[編集]施設
[編集]キャンパス
[編集]- 拓殖大学文京キャンパス内に短大が置かれていた。但し、キャンパスは大学と共同使用。
寮
[編集]- なし。
対外関係
[編集]系列校
[編集]卒業後の進路について
[編集]就職について
[編集]- 在職者が多かったので、就職活動者はやや少なめだったが、一般企業や官公庁などに就職した人もいる。
編入学・進学実績
[編集]注釈
[編集]注釈グループ
[編集]- ^ a b 現在は統合元である拓殖大学本部の所在地。
- ^ a b 平成15年度より学生募集停止[1]。
- ^ a b 現在の文部科学省。
- ^ a b うち女1
- ^ 男のみ
- ^ a b うち女3
- ^ a b c d うち女12
- ^ a b うち女20
- ^ a b 最終募集となった2002年における体制[33]。
補足
[編集]- ^ うち私立短期大学132校
- ^ 短期大学名 紅陵短期大学
- ^ 紅陵大学短期大学部と表記されている資料もある[4][5]。ほか右記資料も参照のこと[6]。
- ^ 出典[7][8]
- ^ 出典[9][10][11]
- ^ 出典[12][13]
- ^ 右記資料がその記載の初見となっている[14]。
- ^ 現在の大泉町。
- ^ 群馬農林専門学校跡
- ^ 右記資料より[15]。ちなみにこの措置は、拓殖専門学校廃止される予定とされていた1955年3月までに、農業経済科が短大に認可されるか否かの見通しが困難であり、認可されなかった場合、群馬分校の施設が休遊地になることが懸念されたためにもしもに備えての対策として行われたものとなっている[16]
- ^ うち女10
- ^ うち女5
- ^ 貿易科のある群馬分校にて増設[18]。
- ^ うち女4
- ^ 北海道拓殖短期大学に譲渡されるため昭和41年度より学生募集停止[21][22]
- ^ うち女11
- ^ うち女6
- ^ うち女21
- ^ うち女22
- ^ うち女25
- ^ うち女24
- ^ 出典[29]。うち1回生 男139 女104[30]
- ^ うち女71
- ^ うち女81
- ^ うち女98
- ^ うち女74
- ^ 右記資料も参照のこと[32]。
出典
[編集]- ^ a b 文教協会'2003.
- ^ 官報 1950年09月14日より。
- ^ a b 文教協会'2006.
- ^ 文部省a, p. 32.
- ^ 文部省b, p. 1.
- ^ 日本教育年鑑より。
- ^ 全国学校名鑑 昭和25年版より。
- ^ 旺文社1950-01, p. 87.
- ^ 文部省c, p. 3.
- ^ 全国大学大観 昭和30年版より。
- ^ 日本大学大鑑 1977年版より。
- ^ 短期大学一覧 昭和25年5月1日現在より。
- ^ 文部省d, p. 5.
- ^ 短期大学一覧 昭和28年度 (短期大学資料)より。
- ^ 短期大学一覧 昭和28年度 (短期大学資料)より
- ^ 拓殖大学'2000.10.
- ^ 文部省'54, p. 1374.
- ^ 短期大学一覧 昭和30年度 (短期大学資料 ; 第13号)より。
- ^ 文部省'58, p. 20.
- ^ 東京教育研究所'60, p. 22.
- ^ 短期大学一覧 昭和41年度 (短期大学資料)より。
- ^ 短期大学教育 (20)より。
- ^ 文部省'65, p. 30.
- ^ 文部省'66, p. 31.
- ^ 短期大学一覧 昭和44年度 (短期大学資料)より。
- ^ 文部省'85, p. 53.
- ^ 文部省'86, p. 53.
- ^ 文部省'87, p. 54.
- ^ 文部省'92, p. 62.
- ^ 旺文社'1992.9, p. 239.
- ^ 文部省'99, p. 66.
- ^ 日本私立短期大学協会短期大学広報委員会'1980, p. 105.
- ^ 文教協会'2002.
- ^ 現行法令輯覧 26-2巻 学事2-昭和31年3月13日文部省告示第17号-より。
参考文献
[編集]1949年短大設置申請分
[編集]- 文部省『申請大学、短期大学等一覧』(PDF)文部省 。
- 文部省『短期大学審査状況』(PDF)文部省 。
- 旺文社『蛍雪時代 19(10);昭和25年1月號』旺文社 。
- 文部省『短期大学審査状況-認可分-』(PDF)文部省 。
- 文部省管理局管理課『昭和25年5月1日現在 短期大学等一覧』(PDF)文部省 。
全国学校総覧
[編集]- 文部省調査局統計課『全国学校総覧 昭和30年版』青葉書房 。
- 文部省『全国学校総覧 昭和34年版』東京教育研究所 。
- 東京教育研究所/編『全国学校総覧 昭和36年版』東京教育研究所 。
- 文部省調査局統計課『全国学校総覧 昭和41年版』東京教育研究所 。
- 文部省調査局統計課『全国学校総覧 昭和42年版』東京教育研究所 。
- 文部省『全国学校総覧 昭和61年版』原書房 。
- 文部省『全国学校総覧 昭和62年版』原書房 。
- 文部省『全国学校総覧 昭和63年版』原書房 。
- 文部省『全国学校総覧 1993年版』原書房 。
- 文部省『全国学校総覧 2000年版』原書房 。
全国短期大学高等専門学校一覧
[編集]- 短大・高専教育研究会監修『全国短期大学・高等専門学校一覧 平成14年度』文教協会 。
- 短大・高専教育研究会監修『全国短期大学・高等専門学校一覧 平成15年度』文教協会 。
- 文部科学省『全国短期大学・高等専門学校一覧 平成18年』文教協会 。
日本の私立短期大学
[編集]- 日本私立短期大学協会短期大学広報委員会『日本の私立短期大学』日本私立短期大学協会短期大学広報委員会 。
蛍雪時代
[編集]その他
[編集]- 拓殖大学『拓殖大学北海道短期大学の沿革』拓殖大学創立百年史編纂室 。