細川元全
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時代 | 戦国時代 |
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生誕 | 文明18年(1486年) |
死没 | 大永3年3月23日(1523年4月8日) |
別名 | 源五郎、刑部(通称) |
氏族 | 細川遠州家、細川玄蕃家 |
父母 | 細川勝益、細川元治 |
兄弟 | 政益、元全ら |
子 | 国慶、左馬助 |
細川 元全(ほそかわ もとよし)は、戦国時代の武士。通称は源五郎、後に刑部。『尊卑分脈』には名を元慶とするが、現存する発給文書の署名は全て「元全」である[1]。
略歴
[編集]細川遠州家(上野氏)の細川勝益の三男として誕生。叔父である細川元治(玄蕃頭家)の養子となる。
永正の錯乱では養父に従って細川澄之討伐や細川高国擁立に加わる。その後、玄蕃頭家の家督を譲られるが、実権は養父が握っていた。永正8年(1511年)には京都にある元全の邸宅から出火している[2]。永正12年(1515年)頃に通称を刑部に改める[1]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 馬部隆弘「細川国慶の出自と同族関係」(初出:『史敏』通巻9号(2011年)/所収:馬部『戦国期細川権力の研究』(吉川弘文館、2018年) ISBN 978-4-642-02950-6)