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細川左馬助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
細川左馬助
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 天文16年10月6日1547年11月18日
別名 僧泉坊?
官位 左馬助
幕府 室町幕府
氏族 細川玄蕃家上野氏
父母 父:細川元全
兄弟 国慶左馬助、僧泉坊?
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細川 左馬助(ほそかわ さまのすけ)は、戦国時代武将

概要

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天文15年(1546年)9月13日に兄の細川国慶と共に入京したとされ、翌年正月には龍安寺を訪れ酒を振る舞われている[1]

京都を巡る細川晴元方との戦闘において、国慶の側近として兵粮米を徴収するための「折紙」を発給していた[1]

天文16年(1547年)10月5日には、京都を占領していた晴元方の城であった桂川沿いの河島城を攻め、6日には西京の大将軍まで攻め上ったものの、その日のうちに国慶とともに戦死した[1]

国慶の弟には、彼の挙兵に与同して浪人となった僧泉坊という人物がいたが、これが還俗して左馬助を名乗った可能性がある[1]

脚注

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注釈

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出典

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参考文献

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  • 馬部隆弘『戦国期細川権力の研究』吉川弘文館、2018年。ISBN 978-4-642-02950-6 
    • 第三部第三章 「細川国慶の出自と同族関係」(初出:『史敏』通巻9号〈2011年〉)572-592頁。

関連項目

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