細郷道一
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細郷 道一 さいごう みちかず | |
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生年月日 | 1915年11月25日 |
出生地 | 神奈川県横浜市 |
没年月日 | 1990年2月15日(74歳没) |
死没地 | 東京都文京区 |
出身校 | 東京帝国大学(現・東京大学) |
前職 |
国家公務員(内務省・自治省) 自治事務次官 |
所属政党 | 無所属 |
称号 | 法学士(東京帝国大学) |
第22-24代 横浜市長 | |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1978年4月16日 - 1990年2月15日 |
細郷 道一(さいごう みちかず、1915年〈大正4年〉11月25日[1] - 1990年〈平成2年〉2月15日[1])は、日本の政治家、内務官僚。神奈川県横浜市長(3期)、自治事務次官を歴任した。
概要
[編集]横浜市出身。東京府立一中、一高卒業。1941年3月、東京帝国大学法学部政治学科卒業。同年4月、旧内務省地方局に入省[2]。第二次世界大戦敗戦後は自治省に勤務。大阪府総務部長や本省税務局長、本省財政局長を経て1969年に自治事務次官。以後、横浜駅東口開発公社理事長、公営企業金融公庫総裁を務める。
1978年3月1日、飛鳥田一雄が横浜市長を辞職。同年4月16日に行われた横浜市長選挙に自民党、社会党、公明党、民社党、社民連、新自由クラブ推薦で立候補し、初当選を果たした。
横浜市長就任後は飛鳥田前市長が計画した横浜みなとみらい21事業をはじめ、港北ニュータウン、横浜市営地下鉄、金沢地区埋め立て事業、横浜ベイブリッジの建設等、いわゆる「横浜市六大事業」の完成に尽力した。飛鳥田が社会党出身の革新市長の代表格であったのに対し、元高級官僚である保守系市長の細郷は、みなとみらい21の土地区画整理事業において、住宅・都市整備公団(現:都市再生機構)による施行や、当時の国鉄総裁である高木文雄の参画等、政府から予算や人脈を誘引し、事業の実施・完成に向けた環境の整備で実績を上げた。
1989年11月右足付け根のリンパ節にはれが見つかり東大病院に入院、治療が長引く見通しとなったことから1990年の市長選に出馬しない意向を表明した。同年2月15日、心不全のため74歳で死去した。
脚注
[編集]- ^ a b 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、153頁。
- ^ 細郷 道一とは - コトバンク