紹武帝
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紹武帝 朱聿𨮁 | |
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南明 | |
第3代皇帝 | |
王朝 | 南明 |
在位期間 | 1646年12月11日 - 1647年1月20日 |
都城 | 広州 |
姓・諱 | 朱聿𨮁[1] |
廟号 | 文宗[2][3] |
生年 | 万暦33年(1605年) |
没年 |
隆武2年12月15日 (1647年1月20日)(42歳没) |
父 | 朱器墭 |
母 | 宣皇后 |
年号 | (紹武) |
紹武帝(しょうぶてい)は、南明の第3代皇帝。諱は聿𨮁(いつえつ)。帝号は存在しないが、日本では施行予定だった元号紹武より一般的に紹武帝と称する。
生涯
[編集]兄の隆武帝朱聿鍵が即位すると唐王を継いだ。1646年(隆武2年)8月、隆武帝が清軍の捕虜となり、その後崩御すると、遺臣により朱聿𨮁が次期皇帝に擁立され、11月5日に広州で即位した。しかし11月18日に、弘光帝の従兄弟にあたる永明王朱由榔も肇慶において即位すると(永暦帝)、両者は清軍の脅威を受けながらも正統性を競い対立、広州三水において交戦した。この戦いで紹武帝軍は永暦帝勢力を撃退したが、戦闘により政権が弱体化、12月15日には清軍による広州侵攻が行われると、紹武帝の軍はほぼ抵抗することなく広州は陥落、紹武帝は裏切り者によって捕らえられた。李成棟は食物を差し出したが、紹武帝は「お前から1杯の水たりとももらわない、兄上に会わせる顔がない」と言って、首をつって崩御した。
系図
[編集]明の太祖洪武帝朱元璋の第23子の唐定王朱桱の八世の孫にあたる。
太祖洪武帝 朱元璋 | 1唐定王 朱桱 | 2唐靖王 朱瓊烴 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
3唐憲王 朱瓊炟 | 4唐荘王 朱芝址 | 5唐成王 朱弥鍗 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
文城恭靖王 朱弥鉗 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
6唐敬王 朱宇温 | 7唐順王 朱宙栐 | 8唐端王 朱碩熿 | 朱器墭 | 9,11唐王・隆武帝 朱聿鍵 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
10唐愍王 朱聿鏼 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
12唐王・紹武帝 朱聿𨮁 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
13唐王 朱聿鍔 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
- 『明史』巻118(列伝第6 諸王3 唐王伝)および巻120(列伝第8 諸王5 桂王伝)より作成。
脚注
[編集]- ^ 諱は出版物やインターネット上では、「鐭」などの類似文字で代用されることもある。正字体はunicode.org のページを参照。
- ^ 趙雨樂 (2017年1月3日) (中国語). 《近代南來文人的香港印象與國族意識》. 中華人民共和國: 三聯書店(香港)有限公司. pp. 第302頁. ISBN 9789620440854 . "而紹武即是指南明文宗(朱聿𨮁,1605-1647),在清兵入關後逃到廣州一帶,登基稱帝, 然而只四十日就旋即敗亡。"
- ^ Kenneth Swope (2018年7月1日) (英語). 《On the Trail of the Yellow Tiger: War, Trauma, and Social Dislocation in Southwest China During the Ming-Qing Transition》. アメリカ合衆国: University of Nebraska Press. pp. 第313頁. ISBN 9780803249950 . "Late Ming Dynasty Reigns,TEMPLE NAME:Wenzong;REING TITLE:Shaowu;DATES:1646"
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