結城駅 (岐阜県)
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結城駅 | |
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駅跡・盛土部分(2017年5月) | |
ゆうき YŪKI | |
◄長瀬 (1.8 km) (1.0 km) 谷汲► | |
所在地 |
岐阜県揖斐郡谷汲村 北緯35度31分34秒 東経136度37分20秒 / 北緯35.526077度 東経136.622097度[1] |
所属事業者 | 名古屋鉄道 |
所属路線 | 谷汲線 |
キロ程 | 10.2 km(黒野起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
乗車人員 -統計年度- |
15人/日(降車客含まず) -1963年- |
開業年月日 | 1926年(大正15年)4月6日 |
廃止年月日 | 1990年(平成2年)4月23日 |
結城駅(ゆうきえき)は、岐阜県揖斐郡谷汲村(現、揖斐川町)にあった名古屋鉄道(名鉄)谷汲線の駅である。
長瀬駅と谷汲駅の間に存在した駅である。周辺地域の過疎化のため、谷汲線が2001年(平成13年)10月1日に廃止される以前に廃駅とされている。
歴史
[編集]1926年に谷汲線の前身である谷汲鉄道の駅として開業した。開業時には隣の長瀬駅との間に長瀬茶所駅が存在したが、1958年に廃止されている。
- 1926年(大正15年)4月6日 - 谷汲鉄道の黒野駅 - 谷汲駅間の開業により開設[2][3]。
- 1944年(昭和19年)3月1日 - 名古屋鉄道への合併により同社の谷汲線の駅となる[3]。
- 1948年(昭和23年)11月1日以前 - 無人化[4]。
- 1990年(平成2年)4月23日 - 廃駅[3]。
駅構造
[編集]- 単式ホーム1面1線のみを持ち、列車交換はできなかった[5]。
- 2017年5月現在、結城神社参道の東側に駅ホームらしき土盛りが残っており(写真参照)、社務所の東奥に結城駅ホームに通じていたと思われる石段の残骸がある。
配線図
[編集] ← 谷汲駅 |
→ 黒野方面 |
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凡例 出典:[6] |
利用状況
[編集]結城駅の周辺地域の過疎化により著しく乗降客が減少し、末期は朝夕の数往復の電車が停車するのみとなっていた[7]。廃止直前には乗降客数が1年間に延べ138人すなわち1日平均では1人未満であった。利用客は高校生1人が通学に使うのみで、しかも普段は自転車通学であり、雨、雪といった天候不順のときしか利用していなかったという(夏休み等も利用していなかった)[8]。よって、1日の利用者がゼロという日もあったという。
1960年前後の年間の利用状況については以下の通り。
年度 | 乗車人員 | 降車人員 |
---|---|---|
1956 | 6,619 | 7,014 |
1957 | 8,753 | 9,255 |
1958 | 6,711 | 7,116 |
1959 | 7,843 | 8,276 |
1960 | 7,884 | 7,943 |
1961 | 7,209 | 6,956 |
1962 | 6,511 | 6,288 |
1963 | 5,569 | 5,515 |
- 『岐阜県統計書デジタルアーカイブ』岐阜県より1954年以前、1964年は該当項目なし、1965年以降はネット未公開
隣の駅
[編集]脚注
[編集]- ^ 国土地理院・5万地形図「谷汲」、1933年(昭和8年)要修版・1947年発行。
- ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1926年4月13日(国立国会図書館デジタル化資料)
- ^ a b c 『岐阜のチンチン電車 岐阜市内線と美濃町・揖斐・谷汲線の85年』郷土出版社、1997年、220-230頁。ISBN 4-87670-097-4。
- ^ 名古屋鉄道広報宣伝部(編)『名古屋鉄道百年史』名古屋鉄道、1994年、882頁。
- ^ 大島一朗『谷汲線 その歴史とレール』岐阜新聞社、2005年、209頁。ISBN 978-4877970963。
- ^ 電気車研究会、『鉄道ピクトリアル』通巻第473号 1986年12月 臨時増刊号 「特集 - 名古屋鉄道」、付図「名古屋鉄道路線略図」
- ^ 大島一朗『谷汲線 その歴史とレール』岐阜新聞社、2005年、217頁。ISBN 978-4877970963。
- ^ 「POST 名鉄谷汲線結城駅廃止」『鉄道ファン』No. 352、交友社、1990年8月、pp. 106。