綾ノ浪俊一郎
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綾ノ浪 俊一郎(あやのなみ しゅんいちろう、1901年8月25日 - 1984年7月1日[1])は、青森県南津軽郡田舎館村出身で湊川部屋、追手風部屋、再度湊川部屋に所属した力士。本名は鈴木 俊一郎(すずき しゅんいちろう)。身長170cm、体重94kg。最高位は東前頭7枚目。得意手は突っ張り、押し。
来歴
[編集]1921年1月場所に初土俵。この間親方が亡くなり、後継が決まるまでのあいだ追手風部屋に預けられ、1929年1月場所に十両昇進、新設された湊川部屋に戻って1930年5月場所に新入幕。春秋園事件に加担し、1932年1月場所に脱退(番付からは削除され、実質的最終場所は1931年10月場所)した。脱退後は青森市で酒屋を経営した後、再び上京して江東区深川で飲食店「角力屋」を経営した。また、太平洋戦争後は青森県に戻り、津軽貨物株式会社に勤務する傍ら、土地相撲や学生に相撲を指導した。
主な成績
[編集]- 通算成績:137勝108敗1休1預 勝率.559
- 幕内成績:28勝38敗 勝率.424
- 通算在位:32場所
- 幕内在位:6場所
- 幕下優勝:1回(1927年1月場所)
場所別成績
[編集]春場所 | 三月場所 | 夏場所 | 秋場所 | |||
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1921年 (大正10年) |
(前相撲) | x | 東序ノ口22枚目 4–1 |
x | ||
1922年 (大正11年) |
西序二段20枚目 4–0 1預 |
x | 東三段目23枚目 2–3 |
x | ||
1923年 (大正12年) |
西三段目34枚目 7–3 |
x | 東三段目12枚目 5–1 |
x | ||
1924年 (大正13年) |
西幕下26枚目 2–3 |
x | 西幕下29枚目 3–3 |
x | ||
1925年 (大正14年) |
東幕下28枚目 4–2 |
x | 東幕下16枚目 4–2 |
x | ||
1926年 (大正15年) |
西幕下5枚目 3–3 |
x | 東幕下18枚目 2–4 |
x | ||
1927年 (昭和2年) |
東幕下35枚目 優勝 6–0 |
東幕下35枚目 5–1 |
東幕下5枚目 3–3 |
東幕下7枚目 3–3 |
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1928年 (昭和3年) |
東幕下5枚目 3–3 |
東幕下6枚目 1–4–1 |
西幕下8枚目 4–2 |
西幕下8枚目 6–1 |
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1929年 (昭和4年) |
東十両7枚目 6–5 |
東十両7枚目 5–6 |
東十両6枚目 6–5 |
東十両6枚目 8–3 |
||
1930年 (昭和5年) |
東十両2枚目 6–5 |
東十両2枚目 7–4 |
東前頭14枚目 7–4 |
東前頭14枚目 6–5 |
||
1931年 (昭和6年) |
東前頭7枚目 2–9 |
東前頭7枚目 1–10 |
西前頭14枚目 7–4 |
西前頭14枚目 5–6 |
||
1932年 (昭和7年) |
東前頭13枚目 – |
x | x | x | ||
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
改名歴
[編集]- 綾ノ浪 俊一郎(あやのなみ しゅんいちろう)1921年1月場所 - 1931年10月場所
参考文献
[編集]- 大相撲力士名鑑平成13年版、水野尚文、京須利敏、共同通信社、2000年、ISBN 978-4764104709
出典
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 綾ノ浪 俊一郎 - 相撲レファレンス