綾小路護
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綾小路護 あやのこうじ まもる | |
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自由通信社編『輝く憲政』より | |
生年月日 | 1892年10月27日 |
出生地 |
日本 東京府東京市 (現・東京都) |
没年月日 | 1973年10月21日(80歳没) |
出身校 | 京都帝国大学経済学部卒業 |
所属政党 | 研究会 |
称号 |
正四位 勲二等瑞宝章 |
配偶者 | 綾小路雪子 |
親族 |
祖父・嵯峨実愛(刑部卿) 叔父・嵯峨公勝(貴族院議員) 父・野宮定穀(貴族院議員) 従兄・嵯峨実勝(貴族院議員) 従弟・牧野康熙(貴族院議員) |
在任期間 | 1925年7月10日 - 1947年5月2日 |
綾小路 護(あやのこうじ まもる、1892年〈明治25年〉10月27日[1] - 1973年〈昭和48年〉10月21日[1][2])は、大正から昭和期の政治家、華族。貴族院子爵議員。旧姓・野宮[1]。位階は正四位[2]。
経歴
[編集]東京において、子爵・野宮定穀の五男として生まれ、綾小路家政の養子となる[1][3]。養父の死去に伴い、1921年(大正10年)4月30日、子爵を襲爵した[1][4]。
1920年(大正9年)京都帝国大学経済学部卒業[2]。十五銀行に入行[3]。その後、横山工業監査、帝国鉱業開発監事などを務めた[3]。また、歌会始講頌として披講の講頌役を務めた[2][5]。
1925年(大正14年)7月10日、貴族院子爵議員に選出され[6][7]、研究会に所属して活動し大蔵省委員、税制調査会委員などを務め[2]、1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]。
栄典
[編集]- 1934年(昭和9年)4月29日 - 勲四等瑞宝章[8]
- 1940年(昭和15年)4月29日 - 勲四等旭日小綬章[8]
- 1942年(昭和17年)5月12日 - 勲三等瑞宝章[8]
- 歿後 - 勲二等瑞宝章[8]
親族
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 平野健次編『日本音楽大事典』 平凡社、1989年。ISBN ISBN 978-4-582-10911-5
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上下巻』霞会館、1996年。
日本の爵位 | ||
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先代 綾小路家政 |
子爵 綾小路家第4代 1921年 - 1947年 |
次代 華族制度廃止 |