練木市左衛門
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練木 市左衛門(ねりき いちざえもん[1]、1864年12月7日(元治元年11月9日)[2] - 没年不明)は、日本の商人(米穀商、伊勢屋)[1]、実業家。練木合資会社社長[2][注 1]。
経歴
[編集]埼玉県南埼玉郡粕壁町(現・春日部市)の人[2][4]。豪農で米問屋練木庄八の長子[2]。年少にして経世の志を抱き、自由民権の説に心を傾け、板垣退助の自由党に身を投じ、進んで郷里に自助館を創設し推されてその館主となる[2]。
実業界に入り、同志と共に粕壁銀行を創設し取締役兼支配人となり、郷党の財界に貢献する[2]。1898年に居を東京に移して、実業のために尽瘁努力し、練木合資会社を創設し自ら社長となり企画経営の衡に当る[1]。合資会社練木不動産商会の有限責任社員である[5]。同志会監査役[2]、生秀館監査役[2]・同取締役[6]などをつとめる。
人物
[編集]参禅して黙堂と号する[2]。赤十字社正社員である[4]。趣味は読書[2]。『処世奥秘録』の著書がある[2]。住所は東京市神田区錦町1丁目[2][5]。
家族・親族
[編集]- 練木家
- 父・庄八[2]
- 妻・カタ子(1865年 - ?、佐久間範次郎の妹)[2]
- 長男・格一郎(1890年 - ?)[2]
- 二男・銀造(1895年 - ?) - 粕壁町・練木庄八の養子となる[2]
- 長女・スミ子(1887年 - ?、島根、斎藤賞資の妻[2]、斎藤誠の母[7]、斎藤徹郎の祖母)
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c 『日本現今人名辞典 訂正3版』ね1頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年3月1日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 『大正名家録』ネ4頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年3月1日閲覧。
- ^ a b c 『日本全国諸会社役員録 明治44年』東京府 上編215頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月26日閲覧。
- ^ a b 『埼玉県南埼玉北葛飾二郡公民必携名家鑑』3頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年3月1日閲覧。
- ^ a b 『官報 1913年01月29日』官報 第148号 572頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年3月5日閲覧。
- ^ 『東京法人要録 2版』せ413頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年3月5日閲覧。
- ^ 『人事興信録 第19版 上』さ57頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月24日閲覧。