繁信順一
繁信順一 しげのぶ じゅんいち | |
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生年月日 | 1946年4月15日 |
没年月日 | 2021年7月7日(75歳没) |
死没地 | 愛媛県今治市 |
出身校 | 京都大学工学部 |
前職 | 今治市職員 |
所属政党 | 無所属 |
称号 | 旭日双光章[1] |
配偶者 | 有り |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1998年 - 2005年 |
繁信 順一(しげのぶ じゅんいち、1946年(昭和21年)4月15日[2] - 2021年(令和3年)7月7日)は、日本の政治家。今治市長(2期)。
経歴
[編集]1969年に京都大学卒業した後は公害防止機器メーカー社員を経て、1974年に今治市役所に入庁。主に開発畑を歩み、JR今治駅周辺の区画整理や今治新都市開発の業務に当たった[4]。架橋推進課長、都市開発部長、総務調整部長などを歴任した[3]。1997年には次期市長選挙での引退・不出馬を表明した岡島一夫今治市長から後継者として指名を受け市職員を退職[5]。
1998年の今治市長選挙に出馬し、元愛媛県議会議員などの他の候補者を破り初当選を果たした。2001年の今治市長選挙では他に立候補が無く43年ぶりに無投票となり再選を果たした[6]。
地産地消や有機農業に強いこだわりを持ち、市長在任中には学校給食に使われる米の地元産・特別栽培米(農薬や化学肥料を愛媛県の慣行栽培基準の50%以下に抑えて栽培した米)への切り替え、学校給食用パンの原料小麦のアメリカ産から今治産への切り替えなどの施策を打ち出している[7]。なお今治市が学校給食の自校式調理場への転換を始めた1983年に学校給食課長を務めている[7]。
平成の大合併が進む中で、一体感が強いこと、一部事務組合などを通じて共同処理の実績があること、人口19万人となり合併の効果が大きいこと、愛媛県が示した合併の基本パターンでも最も望ましいとされていることから今治市・越智郡 16市町村での合併を提案した[8]。越智郡弓削町・生名村・岩城村・魚島村が合併し上島町となることになり、16市町村合併は果たせなかったものの2005年に今治市・朝倉村・玉川町・波方町・大西町・菊間町・吉海町・宮窪町・伯方町・上浦町・大三島町・関前村の12市町村での合併を果たした。
2004年に健康上の理由から12市町村が合併して誕生する新「今治市」の市長選挙には出馬しないことを表明した[9]。
2021年7月7日に心不全のため死去した[4]。叙正六位[10]。
略歴
[編集]- 1969年 - 京都大学工学部卒業。
- 1974年 - 今治市役所に入庁。
- 1993年 - 都市開発部長[2]。
- 1997年 - 総務調整部長[2]。
- 1998年 - 今治市長選挙に出馬し、初当選。
- 2001年 - 今治市長選挙で無投票当選。再選を果たす。
- 2005年 - 今治市長を退任。
人物
[編集]脚注
[編集]- ^ 春の叙勲:県内52人受賞 - 毎日新聞(2016年4月29日)、2016年5月1日閲覧。
- ^ a b c d 愛媛新聞社(1999年)『愛媛年鑑 2000年版<平成12年度版>』、721頁。
- ^ a b 『朝日新聞』1997年9月30日朝刊「繁信順一前市部長が出馬表明 今治市長選」
- ^ a b 繁信順一氏が死去 旧今治市長 75歳 - 愛媛新聞(2021年7月28日)、2021年7月28日閲覧。
- ^ 『朝日新聞』1997年9月27日朝刊「今治市長、今期限りで引退表明『体力に不安・多選よくない』」
- ^ 『朝日新聞』2001年12月17日朝刊「今治市長選、繁信順一氏が再選 43年ぶり無投票」
- ^ a b 桝潟俊子『愛媛県今治市における地産地消の展開と有機農業─自治体行政における環境倫理の形成に着目して─』「淑徳大学研究紀要」、187頁。
- ^ 『読売新聞』2002年1月24日朝刊「今治市長『16市町村合併を』地方局会議で表明 助役の研究会設立へ」
- ^ 『朝日新聞』2004年8月18日朝刊「繁信・今治市長、今期限りで引退表明 体の機能、回復せず」
- ^ 『官報』第554号、令和3年8月16日
関連項目
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