コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

羽島進

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

羽島 進(はしま[1]/はじま[2] すすむ[1]1907年9月12日[3] - 1990年2月28日[4])は、山形県出身の鉄道技術者。息子に国鉄車両設計事務所主任技師を務めた羽島継男[5]

略歴

[編集]

羽島金三郎の次男として生まれ[1]、第二高等学校を経て[6]、1932年に京都帝国大学工学部機械学科を卒業後鉄道省に入省[3]

1941年に札幌鉄道管理局工作課長[7]、1947年に大阪鉄道管理局高砂工機部部長[1]、1950年に東京鉄道管理局車両長[8]、1952年に浜松工場[7]、1956年に機器製作監督事務所長[9]、1958年に大宮工場[10]、1959年11月総裁室を歴任[11]

1959年に国鉄を退職し12月に川崎電機製造に入社[11]、製造取締役を経て1962年常務取締役[4][12]富士電機製造への合併後は常任顧問を務めた[13]。その他車両電気協会常務理事[14]、鉄道工作協会専務理事も兼任[15]

1980年11月に勲三等瑞宝章を受章[16]。1990年2月28日に脳内出血のため82歳で死去[4]

出典

[編集]
  1. ^ a b c d 人事興信録第23版下(人事興信所1966年)は2頁
  2. ^ 人名録 羽島進 - 山形県年鑑昭和47年版(山形新聞社)303頁
  3. ^ a b 羽島進 - 産経日本紳士年鑑第7版下(産業経済新聞社)は行1頁
  4. ^ a b c 会員便り 訃報 - 汎交通1990年5月号(日本交通協会)53頁
  5. ^ 野崎祐弥「忘れ得ぬ人々(6)」 - 車両と電気1981年2月号(車両電気協会)
  6. ^ 川崎電機製造株式会社 - 京都大学卒業者人名録 昭和42年版(京都大学新聞社)54頁
  7. ^ a b 羽島進 - 人事興信録第17版下(人事興信所 1953年)は1頁
  8. ^ 羽島進 - 大衆人事録第15版(帝国秘密探偵社 1952年)は33頁
  9. ^ 羽島進 - 人事興信録第19版下(人事興信所1966年)は1頁
  10. ^ 産経日本紳士年鑑第1版(産業経済新聞社 1959年)は1頁
  11. ^ a b 産経日本紳士年鑑第2版(産業経済新聞社 1960年)は1頁
  12. ^ 羽島進 - 山形県年鑑1970年版(山形新聞社 1969年)334頁
  13. ^ ダイヤモンド会社職員録全上場会社版1971年版(ダイヤモンド社 1970年)965頁
  14. ^ 協会だより - 車両と電気1969年5月号(車両電気協会)
  15. ^ その他 鉄道工作協会 - 交通年鑑昭和49年版(交通協力会)549頁
  16. ^ 晴れの勲章受章者決まる 自動車、港湾、鉄道、海運関係 - 運輸1980年12月号(運輸社)26-27頁