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翁長助静

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
翁長助静
おなが すけしず
おなが じょせい
生年月日 1907年8月25日
出生地 日本の旗 日本 沖縄県真和志間切
(現・沖縄県那覇市
没年月日 (1983-02-06) 1983年2月6日(75歳没)
出身校 沖縄県師範学校本科第二部卒業
前職 教員
称号 勲四等瑞宝章
子女 長男・翁長助裕
三男・翁長雄志

当選回数 1回

真和志村長
真和志市長
在任期間 1948年 - ?
1954年9月25日 - 1957年12月16日
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翁長 助静(おなが すけしず[1] / じょせい[2][3]1907年明治40年)8月25日[4] - 1983年昭和58年)2月6日[4])は、日本教育者政治家沖縄県真和志市(現・那覇市)長。

来歴

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沖縄県真和志間切(のち島尻郡真和志村→真和志市、現・那覇市)に生まれる[4]。沖縄県立沖縄第一中学校(現・沖縄県立首里高等学校)を経て[4]1926年沖縄県師範学校本科第二部卒[4]

沖縄県内の小学校訓導を経て[4]1944年南風原青年学校校長となる[4]が、太平洋戦争は激化する一方で、翁長は妻子を台湾に疎開させた[5]。翌年、米軍上陸による沖縄戦に遭遇し、実父が目の前で被弾し、死亡した[6]

戦後は小学校校長に復帰し、1948年、真和志村長に当選[4][7]1950年に再選したが、選挙の結果更正により、対立候補が当選者となり、村長を失職した[8]。失職後は琉球新報社業務局長、那覇市企画部長、琉球商工会議所事務局長などを歴任[4]1954年の真和志市長選挙に立候補し、市長に返り咲いた[9]。市長は真和志市が1957年に那覇市に編入されるまで務めた。

その後は立法院議員を1期務め、那覇市教育委員長、沖縄都市建設(株)取締役社長などを務めた[4]。1983年に死去した。

栄典

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著書

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親族

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脚注

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  1. ^ 偉大な保守の政治家、翁長雄志氏の愛国心|ニューズウィーク日本版オフィシャルサイト
  2. ^ 『朝日新聞』2018年8月11日朝刊37面、日本の政治は「愛がない」 本土に歴史問い続けた翁長氏
  3. ^ 『毎日新聞』2018年10月9日電子版、沖縄知事県民葬「翁長さん目指した大きな木に」式辞全文
  4. ^ a b c d e f g h i j 『沖縄県議会史』第22巻 (資料編 19 議員名鑑)80頁。
  5. ^ 『私の戦後史』第5集、192頁。
  6. ^ 『私の戦後史』第5集、194頁。
  7. ^ 『私の戦後史』第5集、201頁。
  8. ^ 『私の戦後史』第5集、203頁。
  9. ^ 『私の戦後史』第5集、207頁。

参考文献

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  • 沖縄県議会事務局編さん『沖縄県議会史』第22巻 (資料編 19 議員名鑑)、沖縄県議会、2007年。