耶律履
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耶律 履(やりつ り、1131年 - 1191年6月)は、金の政治家。字は履道。『金史』では移剌 履(いらつ り)と呼ばれる。
遼の皇族である東丹王耶律突欲の七世の孫。父は耶律聿魯。子は元の政治家耶律楚材など。自ら忘言居士と号した。
概要
[編集]はじめは、金の興平軍節度使をつとめた族伯父の耶律徳元の養子となった。後に耶律徳元が実子の耶律震が生まれたが、族弟の耶律震が相続を放棄したので、耶律履が族伯父の家督を相続した。
科挙に及第して、国史院・翰林院・礼部を歴任して、歴史を編集する修史官を兼務していた。その間に『遼史』のもととなる原本の編纂に携わっていた。同時に承奉班祗候に封じられた。
金の世宗の勅命で、一時的に薊州刺史として赴任した。まもなく召還されて礼部侍郎・礼部尚書を経て、参知政事に昇進した。最終官職は尚書右丞である。
1191年(明昌2年)6月に61歳で病没した。諡は文献である。
一族
[編集]妻
[編集]- 蕭氏(契丹貴族の娘)
- 郭氏
- 楊氏
子
[編集]- 耶律弁才(1171年 - 1237年):金の奉国上将軍、武廟署令、生母・郭氏
- 耶律鏞:弁才の子
- 耶律志公奴:鏞の子
- 耶律謝家奴:志公奴の弟
- 耶律鏞:弁才の子
- 耶律善才(1172年 - 1232年):金の都水監使、生母・郭氏
- 耶律鈞:善才の子、元の東平路工匠長官
- 耶律有尚:鈞の子、元の国子祭酒
- 耶律楷:有尚の子、元の奉訓大夫、鄧州知州、生母・伯徳氏
- 耶律朴:楷の同母弟、元の太常礼儀院奉礼郎、生母・伯徳氏
- 耶律権:楷の同母弟、元の江南湖北道粛政廉訪司僉事、生母・伯徳氏
- 耶律栝:楷の異母弟、元の陝西行省宣使、生母・不詳
- 耶律検:楷の異母弟、元の将士佐郎、広源庫知事、生母・不詳
- 耶律有尚:鈞の子、元の国子祭酒
- 耶律鈞:善才の子、元の東平路工匠長官
- 耶律楚材:モンゴル帝国の書記官、生母・楊氏
脚注
[編集]- ^ 鄭氏とする説もある。
参考文献
[編集]- 『金史』列伝第33