耶律抜里得
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耶律抜里得(やりつ ばつりとく、生没年不詳)は、遼(契丹)の政治家・軍人。耶律抜里と書かれることもある。字は孩隣。
経歴
[編集]耶律阿保機の弟の耶律剌葛の子として生まれた。太宗が即位すると、親任を受けた。
944年、太宗が後晋の石重貴を攻撃すると、抜里得は徳州を包囲して下し、徳州刺史の尹居璠ら二十七人を捕らえた。946年、太宗が再び後晋を攻撃し、軍が滹沱河にいたると、杜重威を降伏させるにあたって、抜里得は戦功を挙げた。太宗が開封に入城すると、功績により安国軍節度使に任ぜられ、河北道の行政を総領した。太宗の本隊が本国に帰還すると、河北の州郡で叛乱が頻発するようになった。劉知遠が起兵すると、抜里得は守ることができず、本国に帰還した。
伝記資料
[編集]- 『遼史』巻76 列伝第6