臨潭県
表示
中華人民共和国 甘粛省 臨潭県 | |
---|---|
甘粛省中の臨潭県の位置 | |
簡体字 | 临潭 |
繁体字 | 臨潭 |
拼音 | Líntán |
カタカナ転写 | リンタン |
チベット語 | ལིན་ཐན |
ワイリー方式 | lin than |
国家 | 中華人民共和国 |
省 | 甘粛 |
自治州 | 甘南蔵族自治州 |
行政級別 | 県 |
面積 | |
総面積 | 1,557 km² |
人口 | |
総人口(2014) | 16.12[1] 万人 |
経済 | |
電話番号 | 0941 |
郵便番号 | 747500 |
行政区画代碼 | 623021 |
公式ウェブサイト: http://lintan.gscn.com.cn/ |
臨潭県(りんたん-けん)は中華人民共和国甘粛省甘南チベット族自治州に位置する県。県人民政府の所在地は城関鎮。
歴史
[編集]臨潭県の歴史は古く、新石器時代には早くも人類が居住して繁栄しており、唐には洮州と呼ばれ、唐から吐蕃を結ぶ唐蕃古道の要衝とされていた。前漢は災害犠牲者を臨洮に移し、中原の高度な生産技術・文化・芸術をもたらした[1]。朱泚の乱と呼ばれる蜂起を平定し市街を再生した李晟・李愬の父子も当地出身だった。
北周により設置された汎潭県を前身とする。591年(開皇11年)、隋により臨潭県と改称された。伝説によると、土地は水潭の近くにあったため、その名前が付けられた。
西晋のとき、吐谷渾部族は洮陽城を占領し、寺院を建設し、仏教を信仰していた(牛頭城遺跡)[1]。明代の洪武12年(1379年)、明の将軍沐英が軍を率い西征し、洮州衛城(洮州衛)と呼ばれる新街区を建設した。
洮州では著名な「茶馬互市」と呼ばれる、市は宋代に始まり、明代に栄えた[1]。清代に洮州庁となった。
清末の回民蜂起(ドンガン人の蜂起)では明代からの建築などが破壊された。
中華民国になり、再び臨潭県となった。1953年に県庁が旧市街(現在の城関鎮)に置かれたが、新市街(現在の新城鎮)も残った。
文化大革命では鐘楼も破壊された。
行政区画
[編集]11鎮、3郷、2民族郷を管轄:
観光
[編集]人口動態
[編集]県総人口は約16万人(2014年)。漢族、回族、チベット族、モンゴル族、ドンシャン族、トゥ族、満州族、ミャオ族、リー族、サラール族等15の民族が居住している。少数民族人口は4.1万人、総人口の28%を占める。