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與那覇朝大

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
與那覇 朝大
生誕 1933年10月8日
沖縄県石垣市
死没 (2008-07-02) 2008年7月2日(74歳没)
国籍 日本の旗 日本
著名な実績 画家 陶芸家 
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與那覇 朝大(よなは ちょうたい、1933年10月8日-2008年7月2日)は、沖縄県石垣市出身の画家陶芸家。沖縄を代表する画家の1人であった[1]。陶芸家の与那覇朝一は実弟、美術家の与那覇朝大は息子[2]。2002年に結婚した妻は歌手のGWINKO

経歴

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沖縄県石垣市に生まれる。19歳の時に画家となり、コザ市(現沖縄市)でアメリカ兵相手に肖像画を描いた[1]

1971年の新美術協会展で新人賞を受賞、1977年に沖縄県産業デザインコンクールで会長賞、1986年第33回新美術協会展で光琳賞、日本美術選賞を受賞した[1][3]1992年、新美術協会展で桃山芸術大賞、1998年、アート・オブ・ジ・イヤーのグランプリを受賞した[3]

1999年にはフランス芸術協会から20世紀芸術遺産認定作家に認定[1][3]2004年にはジュネーブ国際平和遺産認定作家賞を受賞するなど国際的にも高く評価された[1]

首里城正殿、識名園切手デザインも行っている[1]

2005年3月20日にはウチナー紀聞で「與那覇朝大〜妻、吟呼と歩む道〜」が放送された[4]

2008年7月2日、心不全のため西原町の病院で亡くなった[1]。「全ての財産を、妻吟子に。」との内容の、公正証書遺言が遺された。同年8月に行われた「第五十三回沖縄全島エイサーまつり」で特別功労表彰されている[5]北谷町に墓地があり、没後夫人より市と南城市立玉城中学校に作品が寄贈されている[6]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 與那覇朝大氏が死去 画家、沖縄の風景精緻に - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース”. archive.vn (2008年7月2日). 2021年8月15日閲覧。
  2. ^ 与那覇大智”. OKINAWA ARTIST INTERVIEW PROJECT (2013年6月7日). 2024年10月26日閲覧。
  3. ^ a b c 與那覇朝大”. 沖縄県立博物館・美術館. 2012年6月1日閲覧。
  4. ^ 8月3日放送 與那覇朝大~妻、吟呼と歩む道~”. ウチナー紀聞. 2012年6月1日閲覧。
  5. ^ 広報おきなわ10月号(No.412、2010年)”. archive.vn (2012年12月19日). 2021年8月15日閲覧。
  6. ^ ようこそ市長室へ(平成22年12月) | 平成22年12月07日 百十踏揚(ももとふみあがり)の絵画贈呈 南城市公式Webサイト(2010年12月7日)”. archive.vn. 2021年8月15日閲覧。

外部リンク

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