良岑義方
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良岑 義方(よしみね の よしかた、生年不詳 - 天徳元年(957年))は、平安時代中期の貴族。参議・良岑衆樹の子。官位は正四位下・左近衛中将。
経歴
[編集]朱雀朝にて、右近衛少将を経て天慶2年(939年)五位蔵人を務めるなど、天皇の身近に仕える。その後も、天慶6年(943年)従四位下、天慶8年(945年)右近衛中将、天暦2年(948年)従四位上、天暦4年(950年)左近衛中将と、朱雀朝から村上朝初期にかけて、近衛府の次将を務めながら順調に昇進した。またこの間の天慶4年(941年)絵所別当に任ぜられたほか、内蔵権頭なども務めている。
天暦9年(955年)頃に左近衛中将を辞任した後の経歴は明らかでないが、位階は正四位下に至った。天徳元年(957年)卒去。
勅撰歌人として、『後撰和歌集』に和歌作品1首が採録されている[1]。
官歴
[編集]- 時期不詳:従五位下
- 承平7年(937年) 2月16日:見右近衛少将[2]
- 天慶2年(939年) 4月7日:五位蔵人[3]
- 時期不詳:正五位下
- 天慶4年(941年) 日付不詳:絵所別当[4]
- 天慶5年(942年) 4月27日:見内蔵権頭[5]
- 天慶6年(943年) 正月7日:従四位下[3]
- 天慶8年(945年) 11月25日?:右近衛中将[6]
- 天暦2年(948年) 正月10日:従四位上[7]
- 天暦3年(949年) 3月16日:見右近衛中将内蔵権頭丹波権守
- 天暦4年(950年) 2月1日?:左近衛中将[6]
- 天暦9年(955年) 7月24日?:止左近衛中将[6]
- 時期不詳:正四位下。美濃守[8]
- 天徳元年(957年) 日付不詳:卒去[1]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 市川久編『近衛府補任』続群書類従完成会、1992年