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芋井

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
芋井村から転送)
芋井
いもい
日章旗 日本
地方 中部地方甲信越地方
都道府県 長野県
自治体 長野市
旧自治体 芋井村
面積
32.62km²
総人口
1,958
住民基本台帳、2023年3月1日現在)
人口密度
60.02人/km²
隣接地区 第一地区、第二地区浅川地区安茂里地区小田切地区戸隠地域
長野市役所芋井支所
長野市役所芋井支所
北緯36度40分34.6秒 東経138度9分17.9秒 / 北緯36.676278度 東経138.154972度 / 36.676278; 138.154972座標: 北緯36度40分34.6秒 東経138度9分17.9秒 / 北緯36.676278度 東経138.154972度 / 36.676278; 138.154972
所在地 〒380-0885
長野県長野市大字桜824-3
リンク 芋井支所公式ページ
芋井の位置(長野県内)
芋井
芋井
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芋井(いもい)は長野市中北部の地区。本項ではかつて概ね同地域に所在した上水内郡芋井村(いもいむら)についても述べる。

概要

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長野市の最高峰飯綱山を頂点に南へ向かって扇状に傾斜し、山岳・高原・渓谷と変化に富む地形をしている。北部は飯綱高原の高原地帯で湖沼が点在し、スキー場やゴルフ場、別荘地が開かれ観光開発が進んでいる。南部は傾斜地であるが、田畠が古くから開かれて集落が点在している。

地域内の人口(長野市役所芋井支所管内)は956世帯 1,958人(令和5年3月1日時点)[1]

歴史

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いもいむら
芋井村
素桜神社の神代ザクラ(国の天然記念物)
素桜神社の神代ザクラ(国の天然記念物
廃止日 1954年4月1日
廃止理由 編入合併
長野市、古里村柳原村浅川村大豆島村朝陽村若槻村長沼村安茂里村小田切村芋井村長野市
現在の自治体 長野市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中部地方甲信越地方
都道府県 長野県
上水内郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 4,215
国勢調査1950年
隣接自治体 長野市
上水内郡朝川村、安茂里村、小田切村、高岡村戸隠村柵村
芋井村役場
所在地 長野県上水内郡芋井村
座標 北緯36度40分34.4秒 東経138度09分17.8秒 / 北緯36.676222度 東経138.154944度 / 36.676222; 138.154944 (芋井村)
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年表

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  • 1604年慶長9年)- 中世以前に鑪村・桜村・入山村・泉平村・新安村・広瀬村・上ヶ屋村が成立し松代藩に属していたが、新安村のうち100飯縄神社領に寄進されて松代藩領新安 (あらやす) 村と飯綱神社領荒安 (あらやす) 村に分離する。
  • 1871年(明治4年)- 戸籍法施行により、鑪村・桜村・入山村・泉平村・新安村・荒安村・広瀬村・上ヶ屋村は第60区に属する。
  • 1842年(明治5年)- 大区小区の設置により、上記8ヶ村は第23大区第4小区に属する。
  • 1876年明治9年)5月30日 - 水内郡鑪村・桜村・泉平村・荒安村・新安村が合併して富田村となる。
  • 1879年(明治12年)1月4日 - 郡区町村編制法の施行により、各村が上水内郡の所属となる。
  • 1882年(明治15年)2月24日 - 富田村の一部が分立して鑪村・桜村・泉平村となる。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、上水内郡上ヶ屋村・泉平村・広瀬村・入山村・鑪村・桜村・富田村の区域をもって芋井村が発足。
  • 1954年昭和29年)4月1日 - 芋井村が長野市に編入。同日芋井村廃止。大字上ヶ屋・泉平・広瀬・入山・鑪・桜・富田となる。

沿革

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飯綱高原の大座法師池西北に位置する上ヶ屋遺跡は旧石器時代終末期の遺跡であり、古くから人の住する地域であった。古代は上水内郡芋井郷に属したと伝えられる。また広瀬荘に属し、平安時代末期の1146年久安2年)に崇徳上皇御願の成勝寺に寄進され、のちに後白河法皇、中世には落合氏が領した。1578年天正6年)の「下諏訪秋宮造営帳」によると、広瀬荘には「入山之郷・上野之郷・広瀬之郷・上屋之郷・北南之郷・桜之郷・田々良之郷・吉澤・新会」が属していると記されている。広瀬荘には桜氏・上野氏・鑪氏・立岩氏・落合氏など葛山衆と呼ばれた武士集団がおり、落合氏がその中心であった。近世初めまでに鑪村・桜村・入山村・泉平村・新安村・広瀬村・上ヶ屋村が成立し松代藩に属していたが、1604年(慶長9年)に新安村のうち100石が飯綱神社領に寄進されて松代藩領新安 (あらやす) 村と飯縄神社領荒安 (あらやす) 村に分離する。上記7か村から新安村を除き茂菅村を含めたこの7ヶ村を葛山七ヶ村、または幅下七ヶ村と称した。尾根や山沢に分断された散村であり、上ヶ屋村は平組・京田組・荒井組、広瀬村は上組・元組、入山村は影山組・犬飼組・清水組に分かれ、新田開発が進むにつれ枝村も成立した。

1876年(明治9年)、鑪村・桜村・泉平村・荒安村・新安村が合併して富田村となったが、「民情が異なり利益が反するため」として鑪村・桜村・泉平村が分離した。荒安村・新安村は「境界が錯綜している」ため富田村のままとされた。1889年、町村制の施行に伴い、鑪村・桜村・入山村・泉平村・新安村・広瀬村・上ヶ屋村は合併して芋井村となった。村名は「芋井の地名は近年まで当7ヶ村の郷名として最も著名かつ歴史上明らか」として芋井が採られた。1954年(昭和29年)4月1日に芋井村が長野市に編入され、同日芋井村は廃止された。戦後は飯綱高原が長野市近郊の行楽地として賑わった。1956年(昭和31年)に一帯が上信越高原国立公園に指定され (2015年に分離して2020年現在妙高戸隠連山国立公園。)、1964年戸隠バードラインが開通するとともに飯綱高原の観光開発が進み、飯綱高原スキー場やゴルフ場が開かれた[2]

大字・町丁

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  • 上ケ屋 (あげや)
  • 泉平 (いずみだいら)
  • 入山 (いりやま)
  • 桜 (さくら)
  • 鑪 (たたら)
  • 富田 (とみた)
  • 広瀬 (ひろせ)

地理

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山岳

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高原

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湖沼

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湿原

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  • 大谷地湿原

河川

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施設・名勝

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交通

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道路

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脚注

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  1. ^ 長野市. “長野市町別人口及び世帯数”. 長野市. 2023年3月24日閲覧。
  2. ^ 長野市誌編さん委員会編『長野市誌』第八巻 旧市町村史編、東京法令出版、1997年。
  3. ^ 長野ホテル犀北館、「旧県自治研修所」の部材を活用へ 将来のリニューアルを見据え”. 信濃毎日新聞. 2023年3月10日閲覧。

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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