芝田安希
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基本情報 | ||||
国籍 | 日本 | |||
生年月日 | 1981年1月6日(43歳) | |||
出身地 | 和歌山県御坊市 | |||
ラテン文字 | Aki Shibata | |||
身長 | 177cm | |||
体重 | 67kg | |||
血液型 | O型 | |||
選手情報 | ||||
所属 | 東レアローズ滋賀 | |||
愛称 | タクト | |||
役職 | 事務局(ユースチーム担当) | |||
ポジション | OH | |||
指高 | 230cm | |||
利き手 | 右 | |||
スパイク | 298cm | |||
ブロック | 298cm |
芝田 安希(しばた あき、1981年1月6日 - )は、日本の元女子バレーボール選手、現指導者。
来歴
[編集]和歌山県御坊市出身。漁業を営む一家に生まれる。スポーツが大好きで楽しそうだったという理由で、小学3年よりバレーボールを始める。名田中学でもバレーボール部に所属し、近畿大会まで出場経験がある。合宿で訪れた京都成安高校(現:京都産業大学附属高校)のレベルの高い練習風景を目の当たりにして、同校出身だった佐伯美香へのあこがれもあって、同校からユニチカへ進みたいとの強い希望を持つようになる。幸い同校からも芝田にオファーがあり進学が決定した。
1999年、京都成安高校卒業後は希望が叶いユニチカに入社。2000年、ユニチカ休部に伴い東レアローズへ移籍。若手選手の多いチームを副主将として牽引した。
2008年、天皇杯・皇后杯全日本選手権優勝、2007-08プレミアリーグ初優勝の2冠に貢献。キャプテンであった向井久子の現役引退に伴い、同年6月よりキャプテンに就任した。
2010年、日本代表候補に選出されるが、辞退。同年5月27日、チームより現役引退が発表された。芝田の引退により、東レからユニチカでプレーした選手がいなくなった。
引退後は社業に専念していたが、2011年11月に東レアローズのマネージャーに就任した。
2013年9月に行われた国民体育大会で、滋賀県チームの一員として出場した[1]。
東レを離れたのち、御坊市役所に勤務する傍ら2016年8月から和歌山県の国民体育大会バレーボールチームの監督に就任した[2]。
2024年3月、9年間勤務した御坊市役所を退職[3]。4月からユースチームの指導者として東レに復帰した[4][5]。
エピソード
[編集]愛称はタクト。高校入学時に先輩から名付けられたニックネームで指揮棒のこと。「チームの指揮を執れるような選手になれ」との思いがこめられているという。
球歴
[編集]- 全日本代表 - 2010年
所属チーム
[編集]選手
[編集]- 名田小学校
- 名田中学校
- 京都成安高等学校
- ユニチカ・フェニックス(1999-2000年)
- 東レアローズ(2000-2010年)
指導者
[編集]- 和歌山クラブ(2016-2024年)
- 東レアローズ滋賀U15(2024-)
脚注
[編集]- ^ 東日本大震災復興支援 第68回国民体育大会バレーボール競技会 公式プログラム79ページ
- ^ “女子バレー和歌山の監督に芝田さん”. 日高新報. 2017年8月29日閲覧。
- ^ hidakashimpo (2024年6月24日). “御坊出身の芝田さん 東レU15の監督に就任 - 日高新報”. 2024年6月28日閲覧。
- ^ “| お知らせ | 東レアローズ女子バレーボール部 | TORAY”. 東レアローズ女子バレーボール部. 2024年6月3日閲覧。
- ^ “| お知らせ | 東レアローズ女子バレーボール部 | TORAY”. 東レアローズ女子バレーボール部. 2024年6月3日閲覧。
参考文献
[編集]- 月刊バレーボール 2009年12月号 98-101ページ