花田組 (大分県)
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種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 大分県竹田市大字竹田1970番地2の1 |
設立 |
1964年(昭和39年)12月26日 創業は1871年(明治3年)12月1日 |
業種 | 建設業 |
事業内容 | 総合建設業 |
代表者 | 破産管財人 平山秀生 |
資本金 | 3,500万円 |
外部リンク | www.hanadagumi.com/ |
株式会社花田組(はなだぐみ)は、かつて存在した総合建設会社(ゼネコン)。大分県竹田市に本社を置いていた。
概要
[編集]1871年(明治3年)12月1日に創業した、大分県内で最も歴史のある建設会社であった[1]。
その歴史は江戸時代にまでさかのぼる。創業者花田幾太郎の兄の幸政治郎は、岡藩の領地であった豊後国大分郡三佐(現在の大分市三佐)の大工の棟梁で、80名の大工を抱え、後には苗字帯刀を許され、岡藩の総棟梁を務めた[2][3]。幾太郎は兄の政治郎とともに働き、大工の技術を身につけた。幾太郎は竹田の名家花田家の養子となって花田姓を名乗り、花田組を創業。以来、花田組の棟梁・代表取締役は代々花田幾太郎を襲名している。
公共事業の減少などによる業績不振のため、2013年(平成25年)4月1日に事業を停止し、4月2日に大分地方裁判所竹田支部より破産手続きの開始決定を受けた[4][5][6][7]。
沿革
[編集]- 1871年(明治 3年)12月1日 - 初代花田幾太郎が土木建築請負業を創業。
- 1906年(明治39年) 1月1日 - 二代目が花田幾太郎を襲名。
- 1949年(昭和24年)10月1日 - 建設大臣登録を受ける。
- 1964年(昭和39年)12月26日 - 株式会社に改組。花田武士が代表取締役に就任。
- 1971年(昭和46年) 2月8日 - 花田武士が三代目花田幾太郎を襲名。
- 1980年(昭和55年)12月12日 - 花田治生が代表取締役に就任。
- 1981年(昭和56年) 3月5日 - 花田治生が四代目花田幾太郎を襲名。
- 2013年(平成25年) 4月2日 - 大分地方裁判所竹田支部から破産手続開始決定を受ける。
脚注
[編集]- ^ “竹田市豊肥地区の建設会社株式会社花田組”. 株式会社花田組. 2011年2月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年3月5日閲覧。
- ^ “三佐校区歴史マップ” (PDF). 大分市. 2019年3月5日閲覧。
- ^ “大分市歴史的風致維持向上計画 第2章 大分市の維持・向上すべき歴史的風致” (PDF). 大分市. 2019年3月5日閲覧。
- ^ “(株)花田組(竹田市)/破産開始決定”. JC-NET. (2013年4月5日)
- ^ “花田組が破産申請へ、負債総額1億5000万円大分県竹田市:倒産情報:九州経済”. 西日本新聞経済電子版. (2013年4月2日)
- ^ “花田組:老舗建設会社が自己破産へ/大分”. 毎日新聞. (2013年4月2日). オリジナルの2011年2月4日時点におけるアーカイブ。
- ^ “お知らせ 産業廃棄物処理業者に対する行政処分について”. 大分県. 2019年3月5日閲覧。