芳妃
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芳 妃(ほう ひ、乾隆15年9月24日(1750年9月24日) - 嘉慶6年8月13日(1801年8月13日))は、清の乾隆帝の側室。漢人の出身。姓は陳氏(のち陳佳氏)。揚州の平民陳廷綸の娘。
生涯
[編集]乾隆31年(1766年)、明常在に封じられ、乾隆帝の側室となる。
乾隆40年(1775年)、明貴人に封じられた。
乾隆41年(1776年)、明常在に戻されるが、すぐに明貴人に復帰する。 同年、夏の熱河巡幸の際に、体調を崩した順妃に付き添い、一足先に北京に戻された。 同年10月、自身に仕える宦官王成に自分の兄の邸宅に行くように命じたが、乾隆帝により拒絶された。
乾隆44年(1779年)、またも明常在に戻されるが、翌乾隆45年(1980年)の誕生日に明貴人に復帰する。
乾隆59年(1794年)、芳嬪に冊封された。
嘉慶3年(1798年)、嘉慶帝に譲位して太上皇となった乾隆帝により、芳妃に晋封される。
嘉慶6年(1801年)、逝去し、裕陵の妃園寢に葬された。
伝記資料
[編集]- 『清史稿』