芳賀勝男
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基本情報 | |
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本名 |
芳賀 勝男 (はが かつお) |
階級 | バンタム級 |
国籍 | 日本 |
誕生日 | 1938年12月14日[1] |
出身地 | 宮城県仙台市[1] |
死没日 | 2000年11月24日(61歳没) |
スタイル | サウスポー[1] |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 32 |
勝ち | 17 |
KO勝ち | 4 |
敗け | 12 |
引き分け | 2 |
無効試合 | 1 |
芳賀 勝男(はが かつお、1938年12月14日[1] - 2000年11月24日 )は、日本の元プロボクサー。宮城県仙台市出身[1]。ローマオリンピック日本代表。第16・18代日本バンタム級王者。プロ現役時代は暁ジム所属。
経歴
[編集]仙台育英学園高等学校で野球部に所属していた。ポジションは捕手だった。3年の時に主将を任されるも、夏の甲子園の県大会予選で敗退した。その後ボクシング部の練習に参加して、ボクシングを始める。当時ボクシング部の1年に、後のたこ八郎がいた。
中央大学進学後、ローマオリンピックバンタム級に日本代表として出場。1回戦で後にWBA世界ジュニアライト級王者:小林弘に挑戦するカルロス・カネテに勝利するも、2回戦でプリモ・ザンパリーニに敗れる(ザンパリーニは銀メダル獲得)。
1961年4月28日、プロデビューを勝利した。
1962年5月4日、後の世界フライ級王者:海老原博幸と対戦するが、判定負けになった。
1963年7月5日、永田耕造が持つ日本バンタム級王座に挑戦して、判定でプロ初タイトル獲得した。
1964年3月19日、高見達也に敗れて、王座初防衛失敗した。
1964年7月10日、高見とのリマッチを制して、王座返り咲き。
1964年11月12日、日大講堂で、山上哲也と初防衛戦を行うも無効試合だった。
1965年6月10日、山上に敗れ再び王座陥落した。これを最後に引退した。
獲得タイトル
[編集]- 第16代日本バンタム級(防衛0度)
- 第18代日本バンタム級(防衛1度)
脚注
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]前王者 永田耕造 |
第16代日本バンタム級王者 1963年7月5日 - 1964年3月19日 |
次王者 高見達也 |
前王者 高見達也 |
第18代日本バンタム級王者 1964年7月10日 - 1965年6月10日 |
次王者 山上哲也 |