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山上哲也

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
山上 哲也
基本情報
本名 木村 昭[1]
誕生日 (1942-02-20) 1942年2月20日
出身地 日本の旗 日本 宮城県遠田郡涌谷町
死没日 (2019-09-11) 2019年9月11日(77歳没)
プロボクシング戦績
総試合数 63
勝ち 38
KO勝ち 3
敗け 17
引き分け 8
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山上 哲也1942年2月20日[2][3] - 2019年9月11日[1])は、日本のボクシング選手。元日本バンタム級王者。山上ボクシングジム会長[4]

経歴

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1942年2月20日[2][3]宮城県遠田郡涌谷町で誕生[2][5]

新和ジムに入門し、ボクサーとしてのキャリアをはじめる[3]1959年5月19日にプロデビュー[2]。初戦では井手慶弘に判定勝ちする[3]1961年7月22日木村ジムに移籍[3]1964年11月12日、日本バンタム級王者であった芳賀勝男に挑戦するも、芳賀がバッティングで負傷したことや、レフェリーの不手際などもあり、ノーコンテストとなった。1965年6月10日、再び芳賀に挑戦し勝利、日本バンタム級王者となる[6]。芳賀は、この試合をもってボクシングを引退した[3]1966年4月8日斎藤勝男の挑戦を受ける。同試合において判定負けし、タイトルと別れる[3][7]。同年12月3日東洋バンタム級王者李元錫に挑むも、タイトル獲得はならなかった[8]

24歳で引退し[4]1996年3月22日に山上ボクシングスポーツジムをオープンする[9]2011年12月19日には同ジム所属の天笠尚が、日本フェザー級王者の鈴木徹を破り、山上ジム所属ボクサーとしてははじめて王者となった[10]

2019年9月11日に逝去[1][11]。その後は山田和平がクラブオーナーを代行した[12]

脚注

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  1. ^ a b c 訃報 弊ジム 会長 山上哲也(本名 木村昭)病気療養中の処... - FLARE 山上ボクシングスポーツ | Facebook - Facebook
  2. ^ a b c d ボクシング年鑑編輯部 編『ボクシング年鑑 1965年版』ベースボール・マガジン社、1965年、100頁。 
  3. ^ a b c d e f g 郡司信夫「変則ボクサー山上哲也」『ボクシング百年』時事通信社、1966年、483-484頁。 
  4. ^ a b 山上ボクシングジム会長・山上哲也のプロフィール紹介「二子玉くんSprts!」”. 二子玉川のポータルサイト 二子玉くん. 株式会社デライト. 2024年1月4日閲覧。
  5. ^ 町の歴史」涌谷町。2024年6月9日閲覧
  6. ^ 「山上、タイトル奪う 芳賀を判定で降す 全日本バンタム級選手権」『朝日新聞』1965年6月11日、朝刊。
  7. ^ 「斎藤、選手権奪う 山上を判定で破る 全日本バンタム級選手権」『朝日新聞』1966年4月8日、朝刊。
  8. ^ 「李がタイトル防衛 山上、判定で敗れる 東洋バンタム級 プロ・ボクシング」『朝日新聞』1966年12月4日。
  9. ^ 「ボクシング 元日本バンタム級王者の山上哲也氏 東京・世田谷区にジムを開設」『日刊スポーツ』1996年3月22日。
  10. ^ 天笠が新王者!5回TKO/ボクシング」『日刊スポーツ』2011年12月19日。
  11. ^ 令和1年度 事業報告書 (PDF)」一般財団法人 日本ボクシングコミッション。2024年6月9日閲覧
  12. ^ “炎の男”輪島功一氏がジム会長退任 次男の大千氏が後任/ファイト/デイリースポーツ online”. デイリースポーツ online (2021年4月14日). 2024年1月4日閲覧。
前王者
芳賀勝男
第19代日本バンタム級王者

1965年6月10日 - 1966年4月8日

次王者
斎藤勝男