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若松鉱山

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
若松鉱山
所在地
若松鉱山の位置(鳥取県内)
若松鉱山
若松鉱山
所在地日野郡日南町
都道府県鳥取県の旗 鳥取県
日本の旗 日本
座標北緯35度05分34秒 東経133度12分30秒 / 北緯35.09278度 東経133.20847度 / 35.09278; 133.20847座標: 北緯35度05分34秒 東経133度12分30秒 / 北緯35.09278度 東経133.20847度 / 35.09278; 133.20847
生産
産出物クロム鉄鉱
歴史
開山1899年?、1895年?
閉山2001年
所有者
企業日本クローム工業株式会社
プロジェクト:地球科学Portal:地球科学

若松鉱山(わかまつこうざん)は、鳥取県日野郡日南町に所在し、1899年明治32年)から1995年平成7年)まで採掘が行われていた日本有数のクロム鉱山である。

歴史

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若松鉱山の発見者については諸説あり、1899年に若松鉱山が発行した『鉱山概説』には「1899年島根県仁多郡八川村の藤原某により発見された。」とある。しかし『日南町史』は「1895年松尾鶴太郎が大洪水の復旧工事現場で重い落石を発見し、高所にある鉱床を探し当てた」としている[1]

1905年(明治38年)に採掘経営を開始。当初の経営者はエスメドースと佐藤百太郎らであった。当時は年に3万トンから4万トンの生産量をアメリカに輸出していた[2]1919年大正8年)1月28日、日本クローム工業株式会社が若松鉱山より譲渡を受ける。1925年(大正14年)から1945年昭和20年)年には全国シェアの47.5%を占めていた。

1995年2月末に採掘休止、翌1996年9月に休山、2001年10月に閉山した[3]

近代化産業遺産

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2009年「近代化産業遺産群続 33」平成20年度に「7.産業用としての耐火煉瓦製造の進展と原料開発の歩みを物語る近代化産業遺産群」のひとつとして選定された[4]

現在は、通常は閉鎖されているが、日南町観光協会に申し込めば有料で一部見学が可能である[5]

保存状況

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15の施設(発電室、金属工作工場、本工場、火薬類取扱所、コンプレッサ室、選鉱場No.1、選鉱場No.2、貯鉱場No.1、No.2、No.3、破砕場、変電室、救護室、鉱務所、索道鉄塔、鉱山事務所、坑道と軌道)が現存する。

以下は「近代化産業遺産群続 33」の「若松鉱山(クロム鉄鉱)跡」に掲載されている不動産である[6]

  • コンプレッサ室
  • 同 ディーゼル発電室
  • 工作場
  • 火薬庫
  • 火薬類取扱所
  • 機械選鉱場
  • 破砕場
  • 貯鉱場(跡)
  • 索道中継所(跡)
  • 沈殿池
  • 受電所
  • 救護室
  • 鉱務所
  • 坑道・軌道・索道鉄塔 (一部)
  • 索道起動所
  • 山神社
  • 油脂庫
  • 炭焼き窯

周辺

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脚注

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  1. ^ 『日南町史』自然文化編、p.32
  2. ^ 『鳥取県の近代化遺産』p.53、鳥取県教育委員会、1998年刊行
  3. ^ 『地質ニュース』664号 p.16、22
  4. ^ 近代化産業遺産群続33 p.28 経済産業省、2019年10月4日閲覧。
  5. ^ よりみちにちなん”. よりみちにちなん. 2019年10月3日閲覧。
  6. ^ 近代化産業遺産群続33 p.30 経済産業省、2019年10月4日閲覧。

参考文献

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  • 日南町史編纂審議委員会 編『日南町史 自然文化編』日南町、1984年
  • 奈良国立文化財研究所「鳥取県の近代化遺産 近代化遺産総合調査報告書」鳥取県教育委員会、1998年
  • ~近代化遺産が紡ぎ出す先人たちの物語~経済産業省、平成20年度
  • 産業技術総合研究所地質調査総合センター 編『地質ニュース』「特集:鳥取県多里地域クロム鉱山・産業遺産登録!第664号」実業公報社、2009年

関連文献

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関連項目

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外部リンク

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