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苫米地俊博

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

苫米地 俊博(とまべち としひろ、1916年6月30日[1] - ?)は、日本実業家三菱商事副社長、米国三菱商事社長三菱自動車工業副会長、国際大学理事長ニューヨーク日本商工会議所会頭などを歴任した。

人物・経歴

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北海道小樽市出身。1941年東京商科大学(現一橋大学)卒業、三菱商事入社。大学在学中、日米学生会議に参加し、宮澤喜一(のちに内閣総理大臣)、奈良靖彦(のちに駐カナダ大使)、山室勇臣(のちに三菱銀行副頭取)らと交遊を持った。財閥解体後、奈良らとともに、野間省一講談社社長の協力を得て貿易会社・飛鳥(「奈良」から「飛鳥」を連想して命名)を設立し、宮澤の弟宮澤泰(のちに駐西ドイツ大使)なども参画したが、1年で倒産した。1954年再結集した三菱商事に入社。1969年米国三菱商事取締役副社長。1971年三菱商事取締役。1975年三菱商事常務取締役総務人事本部長。1978年日本化成取締役。1979年三菱商事取締役副社長、米国三菱商事取締役社長。1983年藍綬褒章受章、三菱自動車工業取締役副会長。1986年三菱自動車工業取締役相談役[2][3][4]。1989年国際大学理事長[5]経済同友会国際関係委員会副委員長[6]ニューヨーク日本商工会議所会頭なども務めた[7]

親族

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苫米地英俊衆議院議員は父。母は英語学者佐久間信恭の娘。認知科学者の苫米地英人は甥。財務官僚飯島健司は娘婿[8]

脚注

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  1. ^ 『北海道年鑑 昭和53年版』(北海道新聞社、1978年)822頁
  2. ^ 日本化成第64期有価証券報告書東京大学
  3. ^ 三菱商事(株)『三菱商事社史. 資料編』(1987.06)
  4. ^ 魚住昭 「軍国主義者は排除せよ…追い込まれた講談社「窮余の一策」とその失敗」現代ビジネス 2019年11月24日
  5. ^ 「役員」国際大学
  6. ^ 経済同友会50年のあゆみ経済同友会
  7. ^ 世界中の卓越した才能を持つ人達との絆を読売新聞2015年10月30日号 Vol.265
  8. ^ 藝人春秋, 第 1 巻文春文庫 2015年
先代
牛尾治朗
国際大学理事長
1989年 - 1990年
次代
山室勇臣