茂木七郎右衛門 (6代)
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六代 茂木 七郎右衛門(ろくだい もぎ しちろうえもん、旧名・兵三郎[1]、1860年3月16日(万延元年2月24日)[2][3] - 1929年(昭和4年)4月19日[4])は、日本の醤油醸造家[5]、実業家、資産家[6]、千葉県多額納税者[3][7][8]。野田醤油(現・キッコーマン)初代社長。野田商誘銀行頭取[3][7]。野田人車鉄道顧問[7]。千秋社代表社員[9]。族籍は千葉県平民[1][3]。
経歴
[編集]下総国野田(現・千葉県野田市)出身。茂木柏衛の長男[1][3]。あるいは茂木七郎右衛門の長男[9]。1896年、家督を相続し旧名兵三郎を改めた[1][3]。醤油醸造業を営んだ[3]。野田醤油社長、野田商誘銀行頭取、万上味淋、北総鉄道各取締役等をつとめた[10]。
人物
[編集]実業家の岩崎清七は、先代の時代から茂木家に大豆や小麦を納ていた関係から、生涯幾度となく七郎右衛門に資金援助をしてもらい、恩人としている[11]。
貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有した[2]。住所は千葉県東葛飾郡野田町[1]。
栄典
[編集]家族・親族
[編集]- 茂木家
- 父・柏衛(埼玉、農業・三浦荒太郎の二男・栄左衛門。茂木七郎右衛門5代目となり、隠居後柏衛と号す)[1][13]
- 母・勝子(4代茂木七郎右衛門の娘)[13]。
- 弟
- 妹・ひで(1873年 - ?、千葉、茂木房五郎の妻)[1]
- 妻・つや(1875年 - ?、東京、山本徳次郎の妹[9][1]、山本徳次郎の姉[10])
- 長男・順三郎(1884年 - 1954年)[9]
- 二男・栄三郎(1887年 - 1988年、弟・中野長兵衛の養子)[9]
- 長女・義(1891年 - ?、茂木信一の妻)[9]
- 婿養子・信一(1886年 - ?、埼玉、須田守三の次男、長女・義の夫)[3]
- 親戚
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i 『人事興信録 第4版』も2頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年2月18日閲覧。
- ^ a b 『貴族院多額納税者名鑑』166頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年2月18日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 『人事興信録 第5版』も2頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年11月7日閲覧。
- ^ 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年、1237頁。
- ^ 『大日本醸造家名鑑』大日本醸造家人名 千葉県(醤油)44頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年6月24日閲覧。
- ^ 『全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査』4頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年9月16日閲覧。
- ^ a b c 『大正人名辞典』812頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年2月18日閲覧。
- ^ 『日本紳士録 第32版』附録 全国多額納税者 群馬県 千葉県23頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年2月27日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 『人事興信録 第8版』モ1-2頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年2月27日閲覧。
- ^ a b 『人事興信録 第7版』も2頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年2月19日閲覧。
- ^ 『欧米遊蹤』岩崎清七、アトリエ社、1933、p104
- ^ a b 『紺綬褒章名鑑 大正8年〜昭和16年』209頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年2月18日閲覧。
- ^ a b 茂木各家の事業と繁栄『日本現代富豪名門の家憲』岩崎徂堂 編 (博学館編輯局, 1908)
- ^ 親族内事業承継とファミリー資本後藤俊夫、一般社団法人 事業承継学会
参考文献
[編集]- 室次郎編『大日本醸造家名鑑』醸造時報社、1908年。
- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 『全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査』時事新報社、1916年。
- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 東洋新報社編『大正人名辞典』東洋新報社、1917年。
- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
- 織田正誠編『貴族院多額納税者名鑑』太洋堂出版部、1926年。
- 交詢社編『日本紳士録 第32版』交詢社、1928年。
- 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
- 森川英正『日本財閥経営史 地方財閥』日本経済新聞社、1985年。
- 総理府賞勲局編『紺綬褒章名鑑 大正8年〜昭和16年』総理府賞勲局、1986年。
- 佐藤朝泰『豪閥 地方豪族のネットワーク』立風書房、2001年。