コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

茅ヶ崎城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
logo
logo
茅ヶ崎城
神奈川県
城址公園入口
城址公園入口 地図
城郭構造 丘城
天守構造 なし
築城主 後北条氏
築城年 15世紀後半頃?
主な城主 座間氏?
廃城年 1590年(天正18年)頃?
遺構 空堀、堀切、土塁、郭、土橋、虎口
指定文化財 横浜市指定史跡
位置 北緯35度32分40.44秒 東経139度34分44.12秒 / 北緯35.5445667度 東経139.5789222度 / 35.5445667; 139.5789222
地図
茅ヶ崎城の位置(神奈川県内)
茅ヶ崎城
茅ヶ崎城
テンプレートを表示

茅ヶ崎城(ちがさきじょう)は、神奈川県横浜市都筑区茅ケ崎東2丁目25にあった日本の城港北ニュータウン遺跡群の1つ[1]。都会にありながら、中世城郭としては比較的よく遺構が残っている。横浜市指定史跡[2]。現在は茅ヶ崎城址公園として公園化している。

歴史・沿革

[編集]

茅ヶ崎城は治安年間(1021年~1023年)に多田行綱による築城とする言い伝えもあるが、正確な築城年代は分かっていない。発掘調査結果からは、15世紀後半に築城され、16世紀前半に改修があったと推定されている[3]。現在は、おそらく後北条氏による築城だろうと考えられているが、出土遺物扇谷上杉氏に関わりがあると見られる、器の底に渦巻き紋を入れた「ウズマキかわらけ[4]などが中心で、後北条の時代の遺物は発見されていない様である[5]

小田原衆所領役帳」によれば、茅ヶ崎一帯は小机衆の一員である座間氏の所領だったことから、茅ヶ崎城は小机城の支城で、座間氏が城代もしくは城番を勤めていたものと思われる。1590年(天正18年)の後北条氏滅亡とともに廃城となった。

遺構

[編集]
中郭跡

1970年代に開発が始まった港北ニュータウン地域にあった268箇所の遺跡群(港北ニュータウン遺跡群)に含まれるが、開発当初から緑地化が検討されており、造成による破壊を免れた[1]。周辺は宅地化されているものの比較的よく遺構が残っており、曲輪(郭)、土塁空堀台の跡がはっきりと確認できる。また小堀切を含む一部の郭には立入りが出来ない。以前はただの雑木林だったが、1990年(平成2年)から1998年(平成10年)にかけて横浜市ふるさと歴史財団発掘調査[6][7]2005年(平成17年)より横浜市が茅ヶ崎城址公園として整備を進め、2008年(平成20年)6月28日に一部公開した[8]

2009年(平成21年)11月2日、横浜市指定文化財史跡)となった。

アクセス

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b 横浜市埋蔵文化財センター 1990, p. 143.
  2. ^ 「市域文化財一覧」横浜市公式HP
  3. ^ 横浜市歴史博物館 2011 pp.7
  4. ^ 横浜市歴史博物館 2011 pp.8-22
  5. ^ 現地主郭の遺物解説板
  6. ^ 横浜市ふるさと歴史財団 1991~2000
  7. ^ 横浜市歴史博物館 2011 pp.4
  8. ^ a b 「茅ヶ崎城址公園」 横浜市公式HP

参考文献

[編集]
  • 横浜市埋蔵文化財センター『全遺跡調査概要』公益財団法人横浜市ふるさと歴史財団〈港北ニュータウン地域内埋蔵文化財調査報告10〉、1990年3月。 NCID BN05701176 
  • 横浜市ふるさと歴史財団 1991~2000『茅ヶ崎城Ⅰ~Ⅲ』
  • 横浜市歴史博物館 2011『都筑区茅ヶ崎城跡と謎のウズマキかわらけ』

関連項目

[編集]