国立病院機構茨城東病院
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国立病院機構茨城東病院 | |
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情報 | |
正式名称 | 独立行政法人国立病院機構茨城東病院 |
英語名称 | NHO Ibarakihigashi National Hospital |
前身 | 国立療養所晴嵐荘病院 |
標榜診療科 | 内科、呼吸器科、消化器科、循環器科、小児科、外科、呼吸器外科、心臓血管外科、リハビリテーション科、放射線科、歯科、麻酔科 |
許可病床数 |
428床 一般病床:360床 結核病床:68床 |
機能評価 | 一般200床以上500床未満:Ver5.0 |
開設者 | 独立行政法人国立病院機構 |
所在地 |
〒319-1113 茨城県那珂郡東海村照沼825番地 |
位置 | 北緯36度26分18秒 東経140度35分41秒 / 北緯36.43833度 東経140.59472度 |
二次医療圏 | 常陸太田・ひたちなか |
PJ 医療機関 |
独立行政法人国立病院機構茨城東病院(いばらきひがしびょういん)は、茨城県那珂郡東海村にある医療機関。独立行政法人国立病院機構が運営する病院である。
概要
[編集]旧国立療養所晴嵐荘病院。政策医療分野における循環器病、呼吸器疾患(結核を含む)、重症心身障害の専門医療施設である。地域医療支援病院の承認を受ける。 国立療養所の当初計画では、日本結核予防協会が事業主体となり、陸海軍で肺結核のために除隊した者を収容する施設として位置づけられていた。建設にあたっては、三井報恩会が5万円を寄付、農林省が2万坪の国有地を提供して進められている。晴嵐荘の名は、結核予防協会会長の徳川圀順により命名された[1]。
沿革
[編集]- 1935年(昭和10年) - 除役結核軍人療養施設、財団法人村松晴嵐荘として創設
- 1937年(昭和12年) - 国立結核療養所官制公布により内務省移管
- 1938年(昭和13年) - 厚生省移管
- 1942年(昭和17年) - 傷痍軍人療養所村松晴嵐荘となる
- 1945年(昭和20年) - 国立療養所村松晴嵐荘となる
- 1976年(昭和51年) - 国立療養所晴嵐荘病院と改称
- 2001年(平成13年) - 厚生労働省移管
- 2004年(平成16年) - 独立行政法人化により国立病院機構茨城東病院となる
- 2007年(平成19年)7月13日 - 地域医療支援病院の承認を受ける。
診療科
[編集]内科・呼吸器科・消化器科・循環器科・小児科・外科・呼吸器外科・心臓血管外科・リハビリテーション科・放射線科・麻酔科ほか
エイズ治療拠点病院である。
交通アクセス
[編集]脚注
[編集]- ^ 水戸郊外に産業療養村の建設決まる『東京朝日新聞』昭和9年12月3日夕刊(『昭和ニュース事典第4巻 昭和8年-昭和9年』本編p13 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ 病院公式サイトの交通のご案内(2011年8月2日閲覧)より。
- ^ 東海村に新たな路線バスが運行します 茨城交通公式サイト 2015年3月4日