茨曽根
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茨曽根 | |
---|---|
北緯37度43分12.69秒 東経138度59分52.38秒 / 北緯37.7201917度 東経138.9978833度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 新潟県 |
市町村 | 新潟市 |
区 | ■ 南区 |
人口 | |
• 合計 | 1,149人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
950-1456[2] |
市外局番 | 025 (新潟MA)[3] |
ナンバープレート | 新潟 |
茨曽根(いばらそね)は、新潟県新潟市南区の町字。郵便番号は950-1456[2]。
概要
[編集]1889年(明治22年)から現在の大字。中ノ口川上流右岸に位置する[4]。
もとは戦国時代から1889年(明治22年)まであった茨曽根村の区域の一部[4]。
隣接する町字
[編集]北から東回り順に、以下の町字と隣接する。
歴史
[編集]成立時期は不明だが、1516年(永正13年)の記録に村名が残る。1875年(明治8年)に下道潟上新田、下道潟中新田、茨新村を合併[4]。
編入した村・新田
[編集]1889年(明治22年)以前に、以下の村・新田を編入。
- 茨新村(いばらしんむら)
- 江戸時代から1875年(明治8年)まであった茨新村の区域の一部。中ノ口川上流右岸に位置する[5]。
- 延宝年間に茨曽根村から分村して成立。1875年(明治8年)に茨曽根村の一部となる[5]。
- 下道潟上新田(しもどうがたかみしんでん)
- 江戸時代から1875年(明治8年)まであった下道潟上新田の区域の一部。中ノ口川上流右岸に位置する[6]。
- 地名の由来は、潟湖の道潟を開発したことによるとされる。1875年(明治8年)に茨曽根村の一部となる[6]。
- 下道潟中新田(しもどうがたなかしんでん)
- 江戸時代から1875年(明治8年)まであった下道潟中新田の区域の一部。中ノ口川上流右岸に位置する[6]。
- 地名の由来は、潟湖の道潟を開発したことによるとされる。1875年(明治8年)に茨曽根村の一部となる[6]。
年表
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 : 合併により茨曽根村の大字となる。
- 1955年(昭和30年)3月31日 : 合併により白根町の大字となる。
- 1959年(昭和34年)6月1日 : 白根町の市制施行により、白根市の大字となる。
- 2005年(平成17年)3月21日 : 合併により新潟市の大字となる。
- 2007年(平成19年)4月1日 : 新潟市の政令指定都市移行により、南区の大字となる。
経済
[編集]地主
[編集]世帯数と人口
[編集]2018年(平成30年)1月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
大字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
茨曽根 | 338世帯 | 1,149人 |
小・中学校の学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[8]。
- 小学校:新潟市立茨曽根小学校 / 中学校 : 新潟市立白南中学校
- 1000番地台
- 1249番地1、1294番地1、1354番地、1356〜1357番地、1388番地、1536番地1、1538番地4、1718番地1、1728番地3、1782番地、1785番地、1787番地、1788番地4、1832番地2、1870〜1871番地、1878〜1879番地、1883〜1884番地、1885番地7~10・12・14~17・19、1889番地、1891番地、1915番地
- 2000番地台
- 2010番地(本番のみ)、2010番地2、2012番地、2014番地、2040〜2041番地、2044番地1、2045番地、2051番地、2067番地、2079番地、2163番地1、2407番地3、2436番地4、2674番地、2675番地2/2708(本番のみ)、2708番地2、2742番地、2745番地、2889番地1、2929番地
- 3000番地台
- 3396番地、3399番地、3402番地6~8・14~16・18・20~24・27~29、3404番地1、3406番地、3409番地(本番のみ)、3409番地3、3411番地、3413番地、3416〜3417番地、3419〜3420番地、3421番地1、3422〜3423番地、3426〜3427番地、3430番地、3436番地3・5・6、3440番地(本番のみ)、3440番地2、3441番地、3445番地(本番のみ)、3445番地2、3447番地、3448番地1、3450番地、3452番地、3454番地(本番のみ)、3454番地3~5、3455番地31、3456番地5、3470番地、3473番地、3526番地、3528番地、3532〜3533番地、3536〜3537番地、3539〜3540番地、3541番地1、3544〜3545番地、3548〜3549番地、3555〜3556番地、3560番地、3563~3565番地、3566番地2、3568〜3569番地、3570番地1、3572番地、3575〜3576番地、3579番地3、3581番地(本番のみ)、3581番地2、3682番地(本番のみ)、3582番地乙、3583番地、3584番地4、3587番地、3591~3593番地、3595番地1、3598番地、3600〜3601番地、3603番地3・5、3605〜3606番地、3607番地1、3614番地、3619番地、3620番地1、3624番地、3768番地、3770番地、3775番地14・21、3777〜3778番地、3794番地1、3797番地、3806番地、3810番地2、3812〜3813番地、3816〜3817番地、3821番地、3824番地、3866番地、3869〜3870番地、3872番地、3913番地、3918番地子
- 4000番地台
- 4003番地、4261番地、4540番地、4551番地、4559番地3、4642番地7・8・12、4651番地、4655番地5・7・12~15・17・20、4667番地11、4671番地、4686番地、4715番地、4720番地、4738〜4739番地、4742番地、4745番地、4757番地、4866番地、4937番地、4994番地
- 5000番地台
- 5008番地、5012番地、5016番地、5064番地、5066番地、5071番地2、5072番地、5089番地、5093〜5094番地、5096番地、5213番地、5433番地、5527番地、5531番地、5849番地、5862番地、5863番地1、5867番地1、5868番地、5958番地1、5965番地、5966番地3、5981番地、5992番地
- 6000番地台
- 6018番地、6030番地1、6067番地、6074番地、6153番地、6156番地3〜4、6180〜6181番地、6184番地(本番のみ)、6184番地4、6185番地、6281番地、6290番地(本番のみ)、6290番地4、6291番地(本番のみ)、6293番地、6295番地、6401番地1、6452番地1、6454〜6455番地、6474~6476番地、6503番地、6566〜6567番地、6575番地、6596番地、6602〜6603番地、6609番地、6618番地1・3、6619〜6620番地、6643番地、6665番地、6667〜6668番地、6670番地、6914番地、6971〜6972番地
- 7000番地台以降
- 7025〜7026番地、7032番地、7034番地、7037番地、7039番地、7042〜7043番地、7062番地、7117番地、9194番地、9195番地1、9297番地
- 1000番地台
施設
[編集]交通
[編集]道路
[編集]脚注
[編集]注釈
出典
- ^ a b “住民基本台帳人口 (全市・区役所・町名別) - 町名別住民基本台帳人口”. 新潟市 (2018年2月13日). 2018年3月5日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2018年3月5日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2018年3月5日閲覧。
- ^ a b c 角川地名15、p.171
- ^ a b 角川地名15、p.170-171
- ^ a b c d 角川地名15、p.686
- ^ 『人事興信録 第11版 上』セ28頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年9月18日閲覧。
- ^ “通学区域一覧(町名別五十音索引)”. 新潟市 (2017年4月1日). 2018年3月5日閲覧。
- ^ 『曹洞宗寺院名鑒』286頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年9月18日閲覧。
参考文献
[編集]- 峯玄光編『曹洞宗寺院名鑒』国書刊行会、1913年。
- 人事興信所編『人事興信録 第11版 上』人事興信所、1937 - 1939年。
- 角川日本地名大辞典 編纂委員会『角川日本地名大辞典 15 新潟県』(株)角川書店、1989年10月8日。ISBN 4-04-001150-3。