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茨田久比麻呂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

茨田 久比麻呂(まんだ の くひまろ、生没年不詳)は、奈良時代の人物。はなし。山背国紀伊郡の人。

記録

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孝謙朝天平勝宝3年(751年)3月の「茨田久比麻呂解」によると、一族の石男・大垣とともに、大宅賀是麻呂と良賤を争い、山背忌寸族登与足らの東大寺奴婢18人(見寺侍17人)が庚午年籍より五比七比の祖父母籍に良人として貫され、賤民にあらざることを訴えたことが見えている[1][2]

脚注

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  1. ^ 『寧楽遺文』下巻768頁・769頁
  2. ^ 『大日本古文書』巻三 - 491頁・492頁

参考文献

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