草柳良夫

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 草柳 良夫 
Yoshio KUSAYANAGI
基本情報
名前 草柳 良夫
生年月日 (1945-01-08) 1945年1月8日(79歳)
身長 169 cm (5 ft 7 in)
体重 67 kg (148 lb)
国籍 日本の旗 日本
出身地 神奈川県
経歴
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草柳 良夫(くさやなぎ よしお、1945年1月8日 - )は、神奈川県出身[1]プロゴルファー

来歴[編集]

相模カンツリー倶楽部出身[2]で、1965年にプロ入りする[1]

1973年には関東オープンで上位陣が総崩れの中、通算4アンダーで並んだ栗原孝田中文雄と三つ巴のプレーオフを戦って[3]、田中と共に栗原の2位タイに入る[4]全日空札幌オープンでは河野光隆陳清波中華民国)と並んでの7位タイ[5]に入った。

1974年太平洋クラブマスターズでは島田幸作新井規矩雄ドン・ビーズアメリカ)と並んでの9位タイ[6]に入った。

1975年沖縄クラシックでは初日を陳健忠(中華民国)・日吉定雄謝永郁(中華民国)・沼澤聖一坂下定夫と並んでの4位タイ[7]でスタートし、2日目には陳健・謝永・沼澤と並んでの2位タイ[8]に浮上するが、3日目には7位[9]に後退し、最終日には田中・金井清一小林富士夫と並んでの10位タイ[10]に終わった。関東オープンでは青木功・小林・杉本英世・新井に次ぐと同時に森憲二謝敏男&陳健(中華民国)、草壁政治河野高明安田春雄を抑えての5位に入る[11] [12]

1977年日本プロでは2日目に中嶋常幸・島田と並び、首位の竹安孝博から2打差2位に入る[13]

1979年三菱ギャラントーナメントでは2日目に69をマークし初日首位の宮本康弘と並んでの2位タイ[14]、3日目には新井と並んでの3位タイ[15]、最終日には中村通の2位[16]に入った。続く東北クラシックでは初日に6アンダー[17]66をマークし金本章生・中嶋・陳志明(中華民国)に1打差付けて単独首位[18]に立ったが、2日目は75と奮わず15位に後退[19]している。

1996年日本プロシニア[1]を最後にシニアツアーから引退し、現在は横浜市神奈川区のトピックゴルフクラブ専属プロ[2]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 草柳 良夫 - PGA会員詳細 - 公益社団法人 日本プロゴルフ協会
  2. ^ a b 神奈川県横浜市神奈川区のゴルフ練習場・トピックゴルフクラブ
  3. ^ 競技会開催 | 武蔵カントリークラブ
  4. ^ 関東オープンゴルフ選手権競技 1973 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
  5. ^ 朝日新聞縮刷版p303 昭和48年7月9日朝刊19面「尾崎、ジャンボな逆転 最終日 12位から一気に優勝 全日空札幌ゴルフ
  6. ^ 毎日新聞縮刷版p297 平成元年11月8日朝刊21面
  7. ^ 毎日新聞縮刷版p389 昭和50年1月17日朝刊15面「ゴルフ、南から幕あく 初日、小川69でトップ 沖縄クラシック
  8. ^ 毎日新聞縮刷版p413 昭和50年1月18日朝刊11面「上田、一挙トップ 沖縄ゴルフ
  9. ^ 毎日新聞縮刷版p440 昭和50年1月19日朝刊14面「沼沢首位奪う 沖縄ゴルフ
  10. ^ 毎日新聞縮刷版p461 昭和50年1月20日朝刊15面「沼沢、手がたく"初笑い" プロ入り七年目の栄冠 沖縄ゴルフ最終日
  11. ^ 【伝説の名勝負。ヒーローの足跡】姉ケ崎カントリー倶楽部。「シャンメェ」の青木功が我慢のゴルフで大会2連覇。1975年関東オープン
  12. ^ 朝日新聞縮刷版p441 昭和50年7月14日7面「青木、1打差で連勝 小林の猛追振り切る 関東オープン・ゴルフ
  13. ^ 第45回日本プロゴルフ選手権(1977年)
  14. ^ 朝日新聞縮刷版p62 昭和54年6月2日朝刊18面「橋本、4アンダーで首位 三菱ギャラン・ゴルフ第2日
  15. ^ 朝日新聞縮刷版p94 昭和54年6月3日朝刊16面「宮本、首位を奪い返す 三菱ギャランゴルフ
  16. ^ 朝日新聞縮刷版p128 昭和54年6月4日朝刊18面「中村通が連勝 三菱ギャラン・ゴルフ
  17. ^ 草柳良夫 男子プロゴルファー 東北クラシックゴルフ 第1日
  18. ^ 朝日新聞縮刷版p269 昭和54年6月8日朝刊17面「草柳6アンダー首位 東北クラシック第一日
  19. ^ 朝日新聞縮刷版p313 昭和54年6月9日朝刊17面「石井が単独トップに 東北クラシック第二日

外部リンク[編集]