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荒尾成裕

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
荒尾成裕
時代 江戸時代
生誕 文化11年11月24日1815年1月4日
死没 明治11年(1878年11月9日
改名 駒之助(幼名)→成裕
別名 但馬(通称)、清心斎(号)
官位従四位
主君 池田慶徳
鳥取藩家老
氏族 荒尾氏
父母 父:荒尾成孝、養父:荒尾成緒
正室:津万(清水谷公正の娘)
成富
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荒尾 成裕(あらお なりひろ)は、幕末鳥取藩家老。米子荒尾家10代。荒尾清心斎の号で知られる。

経歴

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文化11年11月24日(1815年1月4日)、鳥取藩士荒尾成孝の子として生まれ、伯父の米子荒尾家9代成緒の養子となる。米子荒尾家は、鳥取藩の着座(家老となる家柄)筆頭で大名並の知行1万5000石を有し、代々米子城と鉄砲50挺を預けられ、自分手政治と呼ばれる一定の自治を許された家であった。

嘉永4年(1851年)9月、成緒の隠居により家督と知行1万5000石を相続し、米子城代となる。同年11月、家老となる。元治元年(1864年)2月、病の藩主池田慶徳の代理で上京する[1]

明治11年(1878年)11月9日死去、享年65。明治39年(1906年)、成裕の明治維新への功績により、曾孫之茂男爵に叙され華族となる。明治40年(1907年)5月、贈従四位[2]

人物・逸話

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嘉永5年(1852年)、米子城四重櫓大改修の際に尽力した、城下の豪商鹿島家を称える成裕作の俳句短冊2011年、鹿島家の資料の調査で発見された。

脚注

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  1. ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 57頁。
  2. ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.22

参考文献

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  • 『贈位諸賢伝』
  • 『米子自治史』

関連項目

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外部リンク

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