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荒木又右衛門 (1925年の日活映画)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
荒木又右衛門
監督 池田富保
脚本 池田富保
原作 池田富保
製作 小林弥六
製作総指揮 中村鶴三
出演者 尾上松之助
河部五郎
撮影 浜田行雄
松村清太郎
製作会社 日活大将軍撮影所
配給 日活
公開 日本の旗 1925年11月1日[1]
上映時間 17巻[1]
製作国 日本の旗 日本
言語 サイレント映画
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荒木又右衛門』(あらきまたえもん)は、1925年(大正14年)11月1日公開の日本映画である。日活大将軍製作[2]。監督・脚本は池田富保、主演は尾上松之助河部五郎モノクロサイレント映画、17巻。

尾上松之助の晩年を飾る大作[2]。尾上松之助主演映画1000本記念として、新旧合同オールスターキャストで作られた[3][4][5]。宣伝には金粉入り障子大のポスターを作り、興行者からは月極の配給料金以外に最低1000円の特料(プレミアム)を徴収[2]。全国一斉封切りした[3]。これまでの講談調とは異なり、人間荒木又右衛門を浮き彫りとし[2][3]、日活創立以来の大ヒットを記録。以降、春秋に池田富保監督による超特作が製作されるようになった[3]

河部五郎は、健康に異常の見え始めた松之助が自分の後継者にするつもりでの起用だったが、その松之助は翌年5月、『侠骨三日月』撮影中に倒れ、9月に亡くなった[2]

長らくフィルムは現存しないと言われていたが、2008年、4分30秒の短縮版が見つかり、大阪芸術大学太田米男教授がIMAGICAウェストの協力を受けて復元した[6]

スタッフ

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「荒木又右衛門 : 映画小説」より

キャスト

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「荒木又右衛門 : 映画小説」より

脚注

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  1. ^ a b 『日本映画興亡史Ⅱ 日活時代劇』ワイズ出版、2002年、351頁。ISBN 978-4898301265 
  2. ^ a b c d e 『日本映画発達史Ⅱ 無声からトーキーへ』中央公論新社、1980年、46頁。ISBN 978-4124013221 
  3. ^ a b c d 『日本映画興亡史Ⅱ 日活時代劇』ワイズ出版、2002年、297頁。ISBN 978-4898301265 
  4. ^ 『目玉の松ちゃん―尾上松之助の世界』日本文教出版、1995年、121頁。ISBN 978-4821251780 
  5. ^ 『荒木又右衛門 : 映画小説』日活画報社、1925年。 
  6. ^ 「目玉の松ちゃん」尾上松之助、幻のフィルム見つかる”. 朝日新聞DIGITAL. 朝日新聞社 (2008年11月15日). 2020年1月27日閲覧。

外部リンク

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