荻浜村
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おぎのはまむら 荻浜村 | |
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廃止日 | 1955年4月10日 |
廃止理由 |
編入合併 荻浜村 → 石巻市 |
現在の自治体 | 石巻市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 東北地方 |
都道府県 | 宮城県 |
郡 | 牡鹿郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 28.92 km2 |
総人口 |
5,050人 (『宮城県町村合併誌』、1955年3月31日) |
隣接自治体 | 牡鹿郡:渡波町、女川町、牡鹿町 |
荻浜村役場 | |
所在地 | 宮城県牡鹿郡荻浜村 |
座標 | 北緯38度22分52秒 東経141度26分21秒 / 北緯38.38117度 東経141.43917度座標: 北緯38度22分52秒 東経141度26分21秒 / 北緯38.38117度 東経141.43917度 |
ウィキプロジェクト |
荻浜村(おぎのはまむら)は、昭和30年(1955年)まで宮城県牡鹿郡の南東部にあった村。現在の石巻市荻浜・折浜・狐崎浜・小竹浜・小積浜・侍浜・竹浜・田代浜・牧浜・月浦・福貴浦・桃浦 にあたる。
概要
[編集]荻浜港を中心に集落が密集しており、明治初期は日本郵船の内航船の寄港地であった。村の北西の月浦は支倉常長のローマへの出航地である。
沿革
[編集]- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制施行にともない、荻浜・折浜・狐崎浜・小竹浜・小積浜・侍浜・竹浜・田代浜・牧浜・月浦・富貴浦・桃浦の計12か村が合併して荻浜村が発足。
- 昭和30年(1955年)4月10日 - 石巻市に編入。
行政
[編集]- 歴代村長
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
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1 | 真田保 | 明治22年(1889年)5月31日 | 明治31年(1898年)2月28日 | |
2 | 星廉延 | 明治31年(1898年)5月16日 | 明治37年(1904年)12月18日 | |
3 | 矢野惟理 | 明治38年(1905年)1月21日 | 明治40年(1907年)6月22日 | |
4 | 後藤七郎兵衛 | 明治40年(1907年)7月23日 | 明治41年(1908年)1月22日 | |
5 | 加賀卯之助 | 明治41年(1908年)4月13日 | 大正5年(1916年)4月15日 | |
6 | 杉浦留太郎 | 大正5年(1916年)5月13日 | 昭和10年(1935年)9月24日 | |
7 | 大森兵右ェ門 | 昭和10年(1935年)11月30日 | 昭和13年(1938年)8月27日 | |
8 | 杉浦一雄 | 昭和13年(1938年)10月26日 | 昭和21年(1946年)11月30日 | |
9 | 杉山長五郎 | 昭和22年(1947年)4月6日 | 昭和30年(1955年)4月9日 |
教育
[編集]- 荻浜村立荻浜小学校
- 荻浜村立東浜小学校
- 荻浜村立田代小学校
- 荻浜村立荻浜中学校
- 荻浜村立東浜中学校
- 荻浜村立田代中学校
石巻市との合併
[編集]牡鹿郡荻浜村が石巻市と合併する際、「渡波町との同時合併」が枠づけられたが、渡波町の合併に対する態度未決定のあおりをうけて、石巻市との合併が遅延しており、鮎川町・大原村から合併勧誘が行われた[1]。しかし、石巻市との合併を望んでいた荻浜村は1955年3月23日に荻浜村代表を石巻市に派遣し、渡波町抜きでの合併を要望し、石巻市議会で石巻市荻浜村合併促進協議会が設置され、1955年4月10日に荻浜村は石巻市に吸収合併された[2]。
脚注
[編集]- ^ 石巻市史編さん委員会 1998, p. 548.
- ^ 石巻市史編さん委員会 1998, p. 549.
参考文献
[編集]- 『宮城県町村合併誌』(宮城県地方課、1958)
- コンサイス日本地名事典 <第3刷> 編:三省堂編修所、出版:株式会社三省堂、1989年12月15日第3刷発行。
- 石巻市史編さん委員会 編『石巻の歴史通史編』 2巻、凸版印刷、1998年3月31日。