牡鹿町
おしかちょう 牡鹿町 | |||||
---|---|---|---|---|---|
| |||||
廃止日 | 2005年4月1日 | ||||
廃止理由 |
新設合併 石巻市、牡鹿町、桃生郡北上町、河北町、雄勝町、河南町、桃生町 → 石巻市 | ||||
現在の自治体 | 石巻市 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 東北地方 | ||||
都道府県 | 宮城県 | ||||
郡 | 牡鹿郡 | ||||
市町村コード | 04582-9 | ||||
面積 | 72.98 km2 | ||||
総人口 |
4,860人 (推計人口、2005年3月1日) | ||||
隣接自治体 | 宮城県石巻市、牡鹿郡女川町 | ||||
町の木 | マツ | ||||
町の花 | ユリ | ||||
町の鳥 町の獣 町の魚介 キャラクターマーク |
カモメ シカ カキ クジラのミンキー | ||||
牡鹿町役場 | |||||
所在地 |
〒986-2523 宮城県牡鹿郡牡鹿町大字鮎川浜字鬼形山1番地の13 | ||||
座標 | 北緯38度18分07秒 東経141度30分31秒 / 北緯38.30203度 東経141.50853度座標: 北緯38度18分07秒 東経141度30分31秒 / 北緯38.30203度 東経141.50853度 | ||||
ウィキプロジェクト |
牡鹿町(おしかちょう)は、宮城県東部、牡鹿半島の突端にかつて存在した町である。2005年4月1日に石巻地域1市6町で合併し、石巻市となった。
地理
[編集]宮城県東部、牡鹿半島に位置する町である。牡鹿半島の突端にあり、町内のほとんどが山地である。平地は少なく、リアス式の海岸地帯となっている。中心集落は鮎川であり、金華山への観光船もそこから出ている。
歴史
[編集]- 1955年(昭和30年) 3月26日 - 鮎川町・大原村が合併して牡鹿町が発足。
- 1960年(昭和35年)5月24日 - チリ地震の津波により、死者1名などの被害が出る[1]。
- 1967年(昭和42年)4月 - 町章を制定する[2]。
- 1971年(昭和46年)- 牡鹿コバルトラインが開通[1]。
- 2005年(平成17年)4月1日 - 石巻市、桃生町、河南町、河北町、北上町、雄勝町と合併し、新制「石巻市」となる。
行政
[編集]- 最後の町長:木村冨士男
経済
[編集]産業
[編集]漁業が中心で、カキ、ホタテ、ホヤなどの産地として知られる。江戸時代以前には行われていなかったが、明治になってからしばらくの間は、工業資源などとして使われた鯨油目的のマッコウクジラをターゲットとした近海捕鯨の基地として栄えた。千葉資本の外房捕鯨がツチクジラ目的としての捕鯨基地をおいており、町民には調査捕鯨による鯨肉の配布が行われている。
地域
[編集]2004年8月の世帯数は1,914世帯であった。
教育
[編集]- 中学校
- 牡鹿町立鮎川中学校
- 牡鹿町立大原中学校
- 牡鹿町立寄磯中学校
- 牡鹿町立網長中学校(2000年3月閉校)[3]
- 小学校
- 牡鹿町立鮎川小学校
- 牡鹿町立大原小学校
- 牡鹿町立谷川小学校
- 牡鹿町立寄磯小学校
- 牡鹿町立網長小学校(1997年4月休校→1999年3月閉校)[4]
交通
[編集]鉄道
[編集]町内に鉄道路線は無いが、車を使った場合、最寄駅は女川駅もしくは隣接する石巻市にある渡波駅などがあげられる。
道路
[編集]名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
[編集]名所
[編集]- 金華山:三陸復興国立公園に指定されている。また、環境省選定の「かおり風景100選」に選ばれた。
- 十八成(くぐなり)海水浴場:近くに鳴き砂の浜がある。
- 網地白浜海水浴場
- おしかホエールランド
- 御番所公園
祭り
[編集]出身有名人
[編集]備考
[編集]平成の大合併について
[編集]牡鹿郡にあった牡鹿町は当初、同郡女川町との合併を検討していたが、2003年に女川町で行われた合併に関する住民意向調査の結果、6割以上が単独を選択し、牡鹿町との合併を望む声は2割未満であった[注 1][5]。この結果をうけて牡鹿町は女川町との合併を断念し、牡鹿町は石巻市との合併する方針を決定して、2003年5月15日に石巻地区1市5町任意協議会(同日、石巻地区1市6町任意合併協議会に改称)へ加入した[5]。
なお、1市6町の新設合併による石巻市の成立に伴って、旧自治体名を残したいという考えが強かった桃生郡雄勝町・同郡桃生町・同郡北上町は雄勝町雄勝や桃生町寺崎、北上町十三浜といったように域内の大字に旧自治体名を付したものに改めたが、牡鹿町は住民意向調査を行ったところ、圧倒的に「牡鹿町の名を付さないほうがよい」という結果が出たため、牡鹿町の大字は「牡鹿町」の文字が付されなかった[6][7]。ただし、大字および字の字句は削除された[6][注 2]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 宮城県牡鹿郡(編)(1923年)『牡鹿郡誌』(牡鹿郡)): 牡鹿郡. NCID BA34068541,NCID BN055847421975年度複製版、NCID BN032388751986年度複製版
- 牡鹿町誌編纂委員会(編)『牡鹿町誌』上巻 [1988]、下巻 [2002]、中巻 [2005].牡鹿町. NCID BN03137313
- IWASAKI-GOODMAN, Masami (1994): An Analysis of Social and Cultural Change in Ayukawa-hama. Ph.D. Dissertation. Department of Anthropology. University of Alberta, Edmonton, Canada. 国立民族学博物館OPAC情報
- ウィルヘルム・ヨハネス・春水(2005年)「アンバサンに見られる里海の記憶 − 宮城県牡鹿半島寄磯浜をフィールドから」「 季刊・東北学』、5号(2005年秋): 164-189. HTML更新版
- 小野寺正人(1982年)「和船による鰹漁の漁撈習俗—陸前寄磯浜の場合」『石巻地方研究』1、63-71頁.
- 庄司東助(1983年)『日本の漁業問題 : その歴史と構造』東京 : 農山漁村文化協会. NCID BN02345982
- 東北歴史資料館(編)(1984年)『三陸沿岸の漁村と漁業習俗.上巻』(=『東北歴史資料館資料集』, 10)多賀城:東北歴史資料館. NCID BN01528535
- 宮城県水産試験場(1958年-1960年)『沿岸漁業集約経営調査報告書(第1-3年度)』渡波町:宮城県水産試験場. NCID BA45410949
- 高橋鉄牛(1926年)『牡鹿郡案内誌』仙台:陸陽社出版部. NCID BN02345982、NCID BN023459821979年度複製版
- 『宮城県の市町村合併誌~平成の市町村合併の記録~』宮城県、2011年3月 。2024年12月1日閲覧。
- 『第10回石巻地域合併協議会議事録』石巻市、2013年2月26日 。2024年12月1日閲覧。
関連項目
[編集]- 宮城県の廃止市町村一覧
- ないないサミット:加盟市町村の一つ。