荻野凖平
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荻野 凖平(おぎの じゅんぺい、1909年(明治42年)6月1日[1] - 2001年(平成13年)1月22日[1])は、日本の政治家。(旧)静岡市長。
経歴
[編集]- 1909年 安倍郡賤機村(現・静岡市葵区)で生まれる
- 1928年 静岡県立静岡商業学校(現・静岡県立静岡商業高等学校)卒業。賤機郵便局に就職
- 1946年 賤機農業協同組合長になる
- 1947年 静岡市議会議員選挙に初当選。以後3期務める
- 1956年 静岡市議会議長に就任
- 1959年 静岡県議会議員選挙に当選
- 1963年 静岡市長選挙に自由民主党公認で立候補し、当時の現職の松永彦雄市長を破り初当選
- 1966年 全国史跡整備市町村協議会会長を務める
- 1967年 東海市長会会長に就任
- 1969年 藍綬褒章受章
- 1970年 文化庁長官表彰
- 1977年 自治大臣表彰、文部大臣表彰
- 1979年 全国市長会副会長を務める
- 1983年 5期20年勤めた静岡市長を退任。欠勤は一度もなかった。勲二等瑞宝章受章
- 2001年 91歳で死去
静岡市への功績
[編集]- 1963年 - 静岡競輪場の市有化、一般家庭ゴミ処理手数料の無料化
- 1969年 - 安倍郡6か村との合併、日本平動物園の開園
- 1978年 - 静岡市民文化会館の建設
- 1979年 - 国鉄東海道本線の高架化
- 1982年 - 静岡産業館(現・ツインメッセ静岡)の開館
- 1983年 - 静岡駅北口広場の完成
ほか
著書
[編集]- 『賎ヶ岡乃記』(1985年 荻野凖平同族会)
脚注
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