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菅原雅規

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
菅原 雅規
時代 平安時代中期
生誕 延喜19年(919年
死没 天元2年(979年)8月
別名 久松麿英比殿
官位 従四位上山城守
主君 朱雀天皇村上天皇冷泉天皇円融天皇
氏族 菅原氏
父母 父:菅原高視、母:菅原宗岳の娘
兄弟 文時雅規、緝熙、至貫、庶幾
安倍春の娘
資忠、董宣、良正、菅原為紀
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菅原 雅規(すがわら の まさのり)は、平安時代中期の貴族右大臣菅原道真の孫で大学頭菅原高視の子。官位従四位上山城守。幼名を久松麿英比殿とも称す。

経歴

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延喜元年(901年昌泰の変が発生すると、祖父の右大臣菅原道真、父の右少弁高視とともに連座し、雅規は尾張国への流罪となった[要出典]

文章博士となり、のちに左少弁を務めたという。また、村上朝淡路守因幡守和泉守円融朝山城守など諸国の国司を務めた。天元2年(979年)8月卒去。享年61。

天暦2年(948年久松寺を開基。末裔には久松氏がいるとされる。

官歴

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系譜

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  • 父:菅原高視
  • 母:菅原宗岳の娘
  • 妻:安倍春の娘
  • 生母不詳の子女
    • 男子:菅原董宣
    • 男子:良正 - あるいは菅原為紀の子
    • 女子:菅原為紀

脚注

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  1. ^ 『朝野群載』第16
  2. ^ 『扶桑略記』
  3. ^ 『類聚符宣抄』第8 康保4年12月1日宣旨
  4. ^ a b 「菅原系図」『続群書類従』巻第175所収
  5. ^ 『系図纂要』
  6. ^ 『天満宮託宣記』
  7. ^ 『尊卑分脈』

参考文献

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  • 『尊卑分脈 第四篇』吉川弘文館、1958年
  • 宮崎康充編『国司補任 第三』続群書類従完成会、1990年
  • 宮崎康充編『国司補任 第四』続群書類従完成会、1990年