菊地喜一郎
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菊地 喜一郎 きくち きいちろう | |
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1967年 | |
生年月日 | 1906年2月19日 |
出生地 | 日本 宮城県 |
没年月日 | 1983年6月18日(77歳没) |
出身校 | 日本大学専門部経済中退 |
前職 | 東急建設社員 |
所属政党 | 無所属 |
当選回数 | 5回 |
在任期間 |
1962年5月17日 - 1966年5月16日 1966年5月27日 - 1970年5月26日 1970年6月15日 - 1983年4月26日 |
菊地[1] 喜一郎(きくち きいちろう、1906年(明治39年)2月19日[1][2][3] - 1983年(昭和58年)6月18日[1])は、日本の政治家、地方公務員。東京都杉並区長。
来歴
[編集]宮城県仙台市生まれ[3]。1929年(昭和4年)、日本大学専門部経済を中退[1][2]。1932年(昭和7年)杉並区役所に入る[1]。区民生課長、総務課長、1948年(昭和23年)6月17日から1956年(昭和31年)6月16日まで助役を務めた[4]。1957年(昭和32年)から1962年(昭和37年)までは東急建設で勤務していた[2]。
同年5月17日に区議会選任区長となった[4][5]。1966年(昭和41年)5月16日に一旦退任するが、同月27日から再度区長となり、1970年(昭和45年)5月26日まで務めた[4]。その後、同年6月15日から、3たび区長となった[4][注釈 1]。
1975年杉並区長選挙
[編集]1975年(昭和50年)4月27日に行われた公選区長選挙に自民党の推薦を得て立候補し、社会党・共産党の推薦を得た岡十万男を破り、初当選した[6][7]。
※当日有権者数:-人 最終投票率:45.5%(前回比:-pts)
候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 | 推薦・支持 |
---|---|---|---|---|---|---|
菊地喜一郎 | - | 無所属 | 現 | 107,717票 | 64.6% | 自由民主党推薦 |
岡十万男 | - | 無所属 | 新 | 59,046票 | 35.4% | 日本社会党・日本共産党推薦 |
1979年杉並区長選挙
[編集]1979年(昭和54年)、4月22日の区長選挙に立候補し、前回の自民党に加え、公明党、民社党、新自由クラブの推薦を受け、共産党推薦の新人を破って再選を果たした[9]。
※当日有権者数:-人 最終投票率:-%(前回比:-pts)
候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 | 推薦・支持 |
---|---|---|---|---|---|---|
菊地喜一郎 | 73 | 無所属 | 現 | 113,617票 | 66.9% | 自由民主党・公明党・民社党・新自由クラブ推薦 |
三輪政太郎 | 57 | 無所属 | 新 | 56,235票 | 33.1% | 日本共産党推薦 |
1983年(昭和58年)4月の区長選挙には立候補せず同月26日に退任した[4]。同年6月18日2時35分、心不全のため死去。77歳没。
出典
[編集]注釈
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e 『現代政治家人名事典』145頁。
- ^ a b c 『産経日本紳士年鑑 第5版 上』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b 『河北年鑑 昭和59年版』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b c d e f 『杉並区勢概要 昭和58年版』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『特別区区政概要 1963 (調査資料 ; 1963-6)』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『公選区長時代のはじまり : 復活第一回区長選挙』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『公選区長時代のはじまり : 復活第一回区長選挙』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 毎日新聞 縮刷版 1979年4月号 676ページ
- ^ 『国民自治年鑑 1980年版』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
参考文献
[編集]- 『現代政治家人名事典』日外アソシエーツ、1999年。