菊池武雄
表示
菊池 武雄(きくち たけお、1917年8月11日[1] – 1974年10月24日 [2])は、日本の歴史学者。専門は日本中世史。
略歴
[編集]東京都出身。1938年に國學院大學に入学し、1939年度には西岡虎之助が担当した科目「国史学」を履修[3]。1941年3月に卒業[4]。卒業論文は「吉野朝時代公家社会世相と洞院公賢」[5]。同年6月東京帝国大学史料編纂所に入所[4]。その後、兵役に就き、シベリア抑留を経て、1947年11月復員[4]。1948年1月に史料編纂所に復帰し、1956年に助手[4]、1968年に助教授、1974年に教授となる[6]。古文書部に属し、東大寺文書の編纂を担当した[4][7]。
1953年発表の論文『戦国大名の権力構造-遠州蒲御厨を中心として-』は、永原慶二によって「戦後新たに出発した戦国大名研究の起点に位置付けられる労作」と評価されている[8]。
論文等
[編集]- 菊池武雄(著)、歴史学研究会(編)「戦国大名の権力構造-遠州蒲御厨を中心として-」『歴史学研究』第166号、岩波書店、1953年、1-17頁、NAID 40003820027。
- 菊池武雄「平氏受領表」『世界歴史事典』 22巻、平凡社、1955年、159-162頁。NCID BN0165224X。
- 菊池武雄「建武政府國司守護表に就いて」『世界歴史事典』 22巻、平凡社、1955年、195-202頁。NCID BN0165224X。
- 菊池武雄「日本の「告書」に就いて」1974年、NAID 110000275346。(『東京大学史料編纂所報』第13号、1978年、19-29頁、NCID AN00162338。)
参考文献
[編集]- 海津一朗「西岡虎之助講義「国史学」にみる戦中戦後の国学院大学人脈」『紀州経済史文化史研究所紀要』第42巻、和歌山大学紀州経済史文化史研究所、2021年、31-49頁、CRID 1390573242499368448。
- 署名無し「菊池武雄氏の訃」『日本歴史』第320号、吉川弘文館、1975年、142頁、ISSN 0386-9164。
- 千々和到「付記」『東京大学史料編纂所報』第13号、東京大学史料編纂所、1979年、28-29頁、NCID AN00162338。
- 永原慶二「解説」『戦国大名論集』 1巻、吉川弘文館、1983年、469-482頁。 NCID BN00320619。
- 日本歴史学会 編『日本史研究者辞典』吉川弘文館、1999年、109頁。ISBN 4-642-03686-5。
- 福田栄次郎(著)、歴史科学協議会(編)「菊池武雄氏の逝去を悼む」『歴史評論』第297号、校倉書房、1975年、146頁、ISSN 03868907。