落合勤一
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 東京都八王子市 |
生年月日 | 1947年6月21日 |
没年月日 | 2011年4月10日(63歳没) |
身長 体重 |
181 cm 73 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1965年 ドラフト7位 |
初出場 | 1968年6月28日 |
最終出場 | 1969年6月28日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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落合 勤一(おちあい きんいち、1947年6月21日 - 2011年4月10日[1])は、東京都八王子市[2]出身のプロ野球選手。ポジションは投手。
来歴・人物
[編集]中野実践商業高校では、エースとして1965年夏の甲子園都予選5回戦まで進むが、日大二高の神山修に完封を喫する。高校時代はスライダーやフォークボールを武器とし、大型右腕として注目されていた。
1965年プロ野球ドラフト会議で東映フライヤーズに7位指名で入団[2]。3年目の1968年には一軍に上がり23試合に登板、8月から先発としても起用される。9月12日には西鉄を相手に6回からリリーフに立ち、2イニングを無失点に抑え、8回に味方が逆転しプロ初勝利を記録した。1970年にフォームをスリークォーターから下手投げに変えたが、同年限りで引退[2]。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1968 | 東映 | 23 | 4 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | -- | -- | .333 | 176 | 40.2 | 39 | 6 | 13 | 2 | 1 | 30 | 1 | 0 | 23 | 21 | 4.61 | 1.28 |
1969 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | -- | ---- | 16 | 3.0 | 6 | 0 | 1 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 2 | 2 | 6.00 | 2.33 | |
通算:2年 | 25 | 4 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | -- | -- | .333 | 192 | 43.2 | 45 | 6 | 14 | 2 | 1 | 33 | 1 | 0 | 25 | 23 | 4.70 | 1.35 |
記録
[編集]- 初登板:1968年6月28日、対西鉄ライオンズ13回戦(平和台球場)、6回裏から3番手で救援登板・完了、3回1失点
- 初先発登板:1968年7月14日、対近鉄バファローズ15回戦(日本生命球場)、4回1失点で勝敗つかず
- 初勝利:1968年9月12日、対西鉄ライオンズ21回戦(北九州市営小倉球場)、6回裏無死から3番手で救援登板、2回無失点
背番号
[編集]- 36 (1966年 - 1970年)
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ “OB NEWS Vol.58” (PDF). 公益社団法人全国野球振興会(日本プロ野球OBクラブ) (2013年7月). 2015年7月5日閲覧。
- ^ a b c プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、131ページ
外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 落合勤一 - NPB.jp 日本野球機構